20231004

図書館のリファレンスサービスで、「出生、育児と刺繍・世界のものや地域に根ざしたものなど」を中心に、関心範囲を相談して本を探してもらいました。
調査期間は一週間ほど。

児やらいや子どもの中世史など、自分ではたどり着けなかった本にそそられています。 

20231003

電話がなり、先週お願いしていたレファレンスの調査が終わったとの連絡だった。

大学生くらいのときは、容姿へのコンプレックスや他者の痛みのわからなさなどに興味があり、作品の起点だったように思う。私の近作は明確に妊活に影響を受けていて、これからは、子どもについても気づかないあいだに作内に出てきているだろう。

ただ、子どもが大きくなればまた思春期に差し掛かり、容姿へのコンプレックスなどへのテーマに回帰するのだろうか。思春期!

小さな子どもの子育ての大変さはよく聞くが、自分は育児は思春期が一番、むしろそれ以上に子どもが老人になっていくときのほうが大変だと思っている。ああ思春期。また自分の作品にそれがかえってくるかとおもうとワクワクするし、恐ろしい。

また、子育てをしている人は人数的には日本ではマイノリティなはずだが、(間違いなく)

ここ100年くらいの恋愛結婚がマジョリティだったからか、ベビーブームのパンチ強かったからか、それとも子どもがいる核家族のイメージを政府が強調しているからか、

なんとも子育て世帯はマイノリティなのにマジョリティ扱いで

マジョリティなはずの同世代は歴史的にはマイノリティだからなんだかそしられているように感じるのを感じてしまう

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2020年のドローを見つけた。

うまく描こうとしていない、色数を縛りつつ色々なところに目が行く絵。

横浜に遊びに来ている。子どもはどんどん発語が増えて「見えない」「おしまい」「書く」など含めた二語文が成立している。

 

 

 

 

20230920

しんかぞくの交換日記の感想

 

ツイッターだと、全然違う順番で投稿されてしまったり元ツイートが消えたりするのでこちらに・・。→

『しんかぞくの交換日記』展。

公式サイト→https://oekakinoouchi.xyz/diaries/

 

 

【感想】

  1. ルール説明を読む。と、(親が理解できないところまで)到達してしまった子どもたち独自ルールの(そしてとても愉しい)遊びを見せてもらっているような感覚を覚えるプロジェクト。
  2. すべてのてんじがそういうものなのだと、『ハッとする』瞬間がある。 spさんの日記は、引っ越しの荷解きがすでにされている架空日記が書かれていたり、豆苗の育ちが良かったりと、空想の中で関わる人々がspさんの生活が素敵になるようにと優しくケアのこころをもっていることを→
  3. 感じられる。宮野さんのインタビュー作品は、カルチャーをアーカイブすることの価値をとてもよくわかっている宮野さんらしい手法のように思う。主役になれる技術を持ちつつ、一歩引いた眼差し。 →
  4. ハ息子さんの日記の最後の方の宿題部分は出版したほうが良いのではという完成度で面白い。面白がっちゃいけないのかもしれないが・・→交換日記のマフラーは、私なら挫折してしまうかもしれない几帳面さで写し取っている作品で、質感からも、人間関係のやりとりを面倒ぐさがらず表現している。 →
  5. まだまだ暑い夏が続くみたいだけど、この日記を生かした展示を今やることの季節感のようなものも感じる。 夏のピークをすぎて、感傷にふけったり、『大きく変化させると言うよりも小さな調整に目を向ける感覚』。小さな改善点を指摘したり、粘ったり。 →
  6. 日記はつけ続けていれば、少しずつ変わっていくことがわかる。10分前に考えていたことも、少しずつ変わっていることがわかる。→
  7. 人は変わるし豹変する。その面白さを諦めず、几帳面にやりつつも、几帳面という言葉で片付けるにはもったいない、ダイナミズムももっていると思う。正直私が言葉にできているとは思えないが、→
  8. ノートなしの展覧会ではあり得なかった人との関わりの模索が展開されていると思う。ここまで見せてもらっていいのか、というドキッとする感覚もある。そのうえで、展覧会を成り立たせるための緊張感もある。→
  9. オープンアトリエと、シェアハウスと、パーティー(階層をなくしてフラットに交流する機会としてのパーティー)と、読書会と、教室と、相談会のかたちを上手に混ぜて、展覧会と『いっしょに』提示するような、豊かな試みに思えた。 

20230917

今日のドローイング。来年の手帳の予約も色々始まっているようだけど、

日付スタンプを買おうかなと考えています。

昼間にすごく眠くなります。

生後1ヶ月の子のお世話があるので、よく寝るようにしています。今日は支援センターに行って、上の子が好きなキャラクターが多くありよかった。

そのキャラの折り紙をもらってやったーと喜んだ後に、車の中でボロボロにしてしまう様は、子供という感じでした。

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子供、1歳9ヶ月、

パパとお使い。

ママともお出かけしたいけど、ママは産褥期で出かけられない

ママの靴持ってきたり、お留守番でもいいよといったら考えたり。

抱っこして欲しがって抱っこされたり。でも

パパ一人で出かけるのは嫌でついて行きたがったり。

最後、キッチンに自分の首巻きタオルを取りに行って、

それで意を決してお出かけしようとしたみたいなのに、

タオルにつまずいてこけて泣いて。

(せっかく、気持ちを切り替えていくぞって思ったのにね。

タオルは口実?で、自分の気持ちを整理してたのに、

それに躓いちゃったら一気に泣けてきちゃったよね)

ここまで、子の思いは私の妄想にすぎないけど、

身振り手振りから、人間の心の機微を

感じさせていただいてるな、

これが子育てだなあ、と感じた。

20230820

おはよー☀

生後7日の子との生活。

金曜は書類など書いたり。新生児訪問の日程の電話がかかってきたり。

入院中も書類を描いたりしていたのですが。「名前も書けない・・」と思ってショックで泣いたりもしました。何もできなくなっている体に心がついていかない。

とはいえ、体を横にしたり、病院で姫ちゃんのリボンを読んだりして回復しました。授乳室で、一日に2本飲み物をもらったり、パンをもらったりできたのも嬉しかった。

入院は6日間で、毎日指導がさまざまあって目まぐるしいのですが、これ以上いたら飽きたりもしたんだろうな。

母子健康での入院はほんとに幸せな入院ですね。

2歳差育児はイヤイヤ期と重なって大変と聞いていたので、上の子はものすごく手がかかるだろうと予想していたのですが。

予想に反し、『あか!』と呼んで、なでなでしたり寝る時に一緒に寝かせてあげたらいいんじゃないかと表現したり、私が想像するよりもずっとずっと優しかったです。

今日はそんな感じです。

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アプローチについて

宇佐美奈緒さん TOKAS本郷 I stitch my skin to the ground. 性暴力によって自身の身体を物体にさせられた過去をもつ人間(友人や小説など)の話をもとにしたビデオゲームということで、扱い方がぞんざいになったり作家がそれら経験に支配的になった瞬間に、

TOKAS本郷にて Ambiguous Lucy

暴力的になるし、いくらでも盗用的になれると思うんだけど、なんというか、そんな言葉の上の心配なんて吹き飛ぶほどいい展示だった まず、ゲームむずかしいと思う人向けには、デモのムービー版が用意してあって、映像としても見れる さらに、Replay over and overの主人公には、ゲームだからこそ誰でもなれるわけで、プレイヤーが誰であっても、このシュミレーションはできる。すごく開かれてる作品だなーと思った。 さらに、Ambiguous Lucyは結構ファンタジックな作品で、それこそ没入感高いVRとかで見るような形式ではあるんだけど、作家がやりたいことというよりは、作家が気になって仕方ないことみたいなのが全面に出ててよかった。ある意味Replay 〜のほうは、いくらでもフラッシュバック製造できちゃうので、中立的に作っているのかも。もしかしたらゾーニング表記はもっと多くてもいいかもしれないけど、ゲーム・シュミレーションの側面があるからこそ、誰かのトラウマを盗用するというよりも、本当にその体験に純粋に迫っててよかった。ただ、明らかにフラッシュバック製造されてしまうので、ゾーニングはもう少しあってもいいのかな

TOKAS本郷にて Replay over and over

また、重要なポイントとして「私にはトラウマがないからこの作品を見ることが出来る。」という事実に触れておきたい。

そうやって無理矢理に分けられてしまった。

トラウマがないから見ることが出来るということは、この作品を見ることできない人もいるということだ

そいうことにも気づかせる展示だった。

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アプローチといえば、去年、アーティストの飯山由貴さんの監督作品《In-Mates》が東京都人権部から歴史の否定とレイシズムを理由として不当に検閲・上映禁止されている。その検閲を不当だとして最近偶然居合わせた小池都知事に話をしに行ったというツイートに対して、「アプローチの仕方がまずいかなー。」「待ち伏せして撮影して突然迫り話しかけるとか。。相手も人。」とかのリプライがありました。1つ思うのは、弱い立場にいるものが、権力者に対して不当な扱いを止めてくれと「言う」ことの手続きについて、礼儀正しさなどを求めて、結局のところ権力者に対して有利に作られているということ。

そもそも、権力者に会って不当な扱いをやめてもらう正当な手続きなんて用意されてない。礼儀正しく受付に連絡したって、門前払いされる。人権のある市民のはずなのに、いないかのように扱われる。制度を円滑に続けるために?そもそも不当な扱いを受けている状態が異常で一刻を争うのに、話し合いのテーブルにつくはしごすら、最初から外されている。

なぜ、権力者に話しかけるのに、礼儀正しくするよう求めるのに、不当な扱いを受けているものには、礼儀正しくしないのか。

メカラウロコさん個展 『エコー エコー エコー…』感想

メカラウロコさん個展 『エコー エコー エコー…』

素敵な絨毛表現でした〜〜!

その上で、作品の感想を書く上でどうしても気になった、伝えざるをえなかったシーンと作品について重点的に書こうと思います。ツイッターにも書いたのですが、まとめ、加筆して文章にしておきます。

※太字は私の感想用ツイッター(goldenmilkvisit)で触れていなかった部分です。

①絨毛にインスピレーションを受けているであろう立体を含めた総合的な作品。

一点、人間倫理的な大きな問題を私は感じ、シーンひとつと作品ひとつを批判した。
(ハンドアウト5映像作品と7作品)

まず作品の中では、

芥川龍之介の作品をベースとした語りが取り入れられている。

なので、芥川の「河童」の展開を取り入れることは自然だろう。

しかし、以下の重要な部分が会場でわかりやすく提示されてはいないので、該当するシーンを唐突に感じる。

作品内のキッチュとも形容できる衣装・メイクが、さらに軽薄な印象を持たせてしまう。

旧法に触れずに、作家の子への複雑な心情についてのみ語られていれば、このキッチュさは魅力だが、なんとなく問題に触れつつも最終的には作家の個人的エピソードに回収されていく時間の流れは、鑑賞者の中に湧き起こる問いを放って置かれてしまう様な印象も受ける。

前提としている芥川のエピソード(③部分のエピソードは幼児用の机に置かれている小説を仔細に読めば読むことができる)(⑤部分のエピソードは映像内の看板に記載されている)を

引用すると、

父親は電話でもかけるやうに母親の生殖器に口をつけ、「お前はこの世界へ生れて来るかどうか、よく考へた上で返事をしろ。」と大きな声で尋ねるのです。

芥川龍之介「河童」より(青空文庫)

すると細君の腹の中の子は多少気兼でもしてゐると見え、かう小声に返事をしました。
「僕は生れたくはありません。第一僕のお父さんの遺伝は精神病だけでも大へんです。その上僕は河童的存在を悪いと信じてゐますから。」

芥川龍之介「河童」より(青空文庫)

そこにゐ合せた産婆は忽ち細君の生殖器へ太い硝子の管を突きこみ、何か液体を注射しました。すると細君はほつとしたやうに太い息を洩らしました。同時に又今まで大きかつた腹は水素瓦斯を抜いた風船のやうにへたへたと縮んでしまひました。

芥川龍之介「河童」より(青空文庫)

『遺伝的義勇隊を募る※[#感嘆符三つ、113-1]
健全なる男女の河童よ※[#感嘆符三つ、113-2]
悪遺伝を撲滅する為に
不健全なる男女の河童と結婚せよ※[#感嘆符三つ、113-4]』

芥川龍之介「河童」より(青空文庫)

⑥と、ここまで引用してきたが、遺伝に関する胎児の感想や中絶と思われる描写、「悪遺伝を撲滅する為」なる文句が、芥川龍之介「河童」には含まれているわけです。

⑦その上で、メカラウロコ作品の中では旧法読み上げシーンがあり、かつ、作品の中ではこの法へ投げかけに対する回収が無いように捉えられました

⑧さらに、読み上げた紙を水に溶かす(投げたら溶けてしまうといったほうが適切)という表現は、「その法の影響や与えられた苦痛の歴史が今は消えた」という表現に捉えることも可能になってしまいます

ハンドアウトを読むと、作家の興味は自身他者に対して権力を持ってしまうことから出発しているようです。(実際に作家に聞くと、親として子に対して権力を持ってしまうことから出発しているわけではなく、年下の人などに対して自分が権力を持ってしまっているのではないかというところから出発しているようです)

⑨作家が持つ、「自身の権力に対する自覚」から出発し、親になるために子を宿す権利をもつが、子に生まれてこない権利を提示する様子の潔さは、『性を祝う』に通じる面白さがあるのですが、シーンの扱いと立体作品については、表現が意味してしまうものへの責任→

⑩(表現が意味してしまうものへの責任)に対して、責任が取り切れていない、と批判しました。ただ、キャンセルカルチャーのようになるのも私の意図ではないので、これからどういうアクションが取られたり取られなかったりするのか、気になり、楽しみにもしています。→

11他にも見た方がいらっしゃれば話し合いたいなと思った作品でした

childbirth

先日出産した体験をメモしていたので公開します。これまでフィクションと日記を混ぜるようなテキストが多かったが、今回はどちらかというと激しい体験を受けながら記録していったメモをそのまま公開するスタイルです。とても長いです。陣痛レポとしてお楽しみください。

人生1日目のひととの生活

10/23 (土)
昼は散歩してトッポギとかマフィンとか食べて多摩川を見に行ってのどかだった。

21:00 とぽとぽっと水がこぼれる感覚。バスタオルが必要なほどではない。生理用品も普通の日に使うくらいのものでいいかな、というくらい。→電話、病院で診察受けることに
ペットボトルに水1/3, お湯2/3を入れて股に挟んで行く。会陰をあたためるとよい、という、助産院ばぶばぶのHISAKOさんの言葉が頭の片隅にあった。

~車で病院へ~
入院のための紙を書く→右手人差し指の爪が割れる(痛い)という唐突なアクシデント→紙に記入するのが痛い。パートナーに「じゃあ後で帰ってくるかもね~」と言ってのんきに診察室へ。まさかここから7日間会えなくなるとは露知らず。

~診察へ。~
陽性だった!→陣痛室へ。→救急ロビーで待っているであろう入院連絡をパートナーにLINEメッセージでする。促進剤の同意書などの必要書類(来週入院で、破水では促進剤いらないと思ってたのでおいてきていた)を持ってきてもらえるよう、もちろん通話ではなくメッセージで連絡。陣痛室はすでに寝てる人もいる時間なのでこそこそなのだ。

~促進剤をのむ~
22:45にくすりを飲んだ
8時間後にものむことを忘れないようにメモする。

採血、うまくいかず4回刺される。痛い!これが印象に残っている。
(今までの検診でそんなことはなかった。総合病院の採血室の人たちがうまかったのか、検診は昼だから血がとりやすかったのか。くっそーとなる。そういえば、そもそもは私は血管が細いからこの病院に来るまでは健康診断でも採決は立ちくらみを起こしがちでうまい看護師さんに変わってもらったりしていたな)

モニター(30分くらいかけて心音とかお腹のはりを記録する)をつける。
つけながら、歯ブラシとか忘れたなーと思ってパートナーに連絡する

◇10/24

10/24 1:22 陣痛室。同室は2人。そういえば、夜やってきてこっそりカバンの中身を整理してベット脇を自分の好みに作り替える感じって、ユースホステルのドミトリーを思い出す。

1:32 心音計測 元気で生きてる。私は爪の先が割れて痛いけどそれ以外元気で寝れそう。

1:48 今までとは違う痛み、生理痛の延長の痛さビッグウェーブがくる。50秒続く×3、そのあいだにトイレ。けっこうずっとトイレにいたい感じ。痛みは手の指をわかめのようにフラフラ動かすとごまかせる。このあたりでは、デカイ松明の周りを踊る村人というイメージ持って振り付けのように手の指を動かしていた。ちなみに2時くらいまではこのノリでいけるが、3時からは声を出した方が上手にリラックスできると感じる。「あぁあぁあーー!」って言うことで体は弛緩できる。痛くて叫ぶんじゃなくて、声を出すことで痛みから逃れてリラックスするための行為なんだなと発見がある。

2:06 ベッドに帰宅。トイレ目の前なので助かると思ってる。陣痛の波の後に絶対にトイレに行きたくなるし、行ってるし、陣痛に耐えてる間はこれが終わったらトイレに座れると思って、トイレにいくことがご褒美みたいになっている。トイレが一種のアミューズメントで癒される。

2:21 胎動あり

2:31 心音チェック 陣痛5分以内 手はワカメで乗り切れる、
腰を自分でぐりぐりさする。気づくと割れた爪の絆創膏が剥がれそうになっている。
温かいタオル持ってきてもらう。薄いタオルでさらにつつまれているが、そのテープを剥がして絆創膏をぐるぐるまく。依頼すればやってくれるだろうけど、依頼する余裕なんかない。

2:33 胎動あり。ぐにぐにしてる。

2:46 胎動あり、陣痛が5分感覚。だが、いきみというより、お腹が勝手に動いて破水するという感じ。陣痛は20秒~39秒がマジで痛くて、計測しながら「40秒からいたくないはずだから!!」と自分の励みになっていた。
陣痛の波の度に学びがあり、足を動かした方が痛くないかもと思って動かして激痛を体験した波の後は深く反省して次は絶対に足を動かさなかった。そうやって波が乗りこなせるようになっていく。本当に計測のおかげで振り返りと改善につながったし、「かならずこの波は終わる」という規則性にずいぶん助けられた。

(計測は「陣痛きたかも」というアプリで行った。ストーリーで以前見たアプリ。こういうものがあるんだと思って本当に助かった。)

3~6時で、陣痛後に絶対トイレにいきたくなり、行っていた。トイレにいたい気持ち。トイレにいってるときも陣痛があり、体起こしてるほうがいいのかと思ってベッドに座って陣痛計測しながらのりきる。座ってから、声もでるようになったけど、うんちのいきみではなくおしっこのいきみというかんじ。

~「痛い」って言う?~
「痛い痛い~」って振り返ってみれば言わなかった。これはソフロロジーで産みたい人はそうするらしいけど、自分の場合はソフロロジーは意識していなかったけど、陣痛といきみは「痛い」と言うよりも、その痛みとともにリラックスできる体になるための「手をワカメにする」「口をあける(歯を食い縛らない)」「目は上を向く(みけんにシワを寄せない)」を実行するのに必死だったのだ。

陣痛と分娩は「あぁあああああ」「おおおおぉぉぉ」「いけるいける」「がんばってるねーー!」「偉い偉いー!」って感じの声が多かった。(逆に、爪の痛みや縫ったあとの痛みは「痛ててて…」という感じ。)

そういえば、「がんばってるねぇ、すごいねぇ、今日も偉い偉い」というのはパートナーの口癖だったな。そもそもは私がパートナーにいつも言っているのでそれがうつったんだけど、「偉い偉いね、がんばってるがんばってる」という、いきみのときに出てる声は、パートナーが言ってるようでとても良かった。

がっつり内診のようにしてもらえると、いきみが止められる。いきみは逃すときと出産するときで合計10~20回くらいしかしてないのでまじでスピード出産だったと思う。おしっこ的いきみ(破水)は4時頃からあったが。

~対面~
お腹のなかにいるときは、羊水にお魚飼ってるみたいな気分だったけど、実際出てくると「リアル!」て思った。
鶴瓶さんか土偶かガッツさんか宇宙人かと思ってたけど、初見はどれにも似てなくてシンプルに可愛い~~リアル~~って感じだった。
ペットボトルは入院前に買うでしょと思ってたけど買うのを忘れてた。湯タンポがわりのペットボトルもストローが合わない。
のどがカラカラ…。

~縫合~
出来れば会陰切りたくなかったけど、全開から出産まで20分ほどもないスピード出産だったため、切った。縫合は、「肉を縫うような表現をしているアーティストの表現への理解に一歩近づいた!」っていう感想を持った。
麻酔できないところはリアル~~に釣糸っぽい弾力のある糸が肉をスルスル通っていくのを感じるしね。出血けっこうあって大変だったみたい。Zで縫っても出血して~ときいて、「かがりぬいみたいなものかな?」と思っていた。

10代で描く「膣の縫合」は、社会が押し付ける倒錯的な処女性への執着や自傷による社会的役割の拒否のメタファーであることが多いように思う。けれど、実際の縫合は母体を裂傷から守る。なんだか目が開くような体験だった。

~カンガルーケア~
カンガルーケアで2時間くらいいっしょにいた。
そのときはおでこにしわがよってた。髪がウェーブなんだ~って思った。お腹のなかに入ってたときと同じで手を食べてたので、はやめに初乳にもトライ。あむあむしたり、そのまま寝てしまったり。
私のお腹を冷やすために(出血止めるため)アイスノン置いてあるので、子の足に当たらないように足を上にあげてあげたり。すでに自分の手が子を守る行為をしていて、「へぇー!」という感じ。
ここから先も、我が子への愛とか母性とかは感じずに、体が母性を持っているのだなということを客観的に見ているという状態がある。しかし、悲壮感はない。面白くて興味深い。

11時に泊まる部屋に移動してぐっすり。12時にごはん食べる。

15時半頃に会いに行って抱っこ。あくびもくしゃみも上手で可愛かったのでした。

10/25
~授乳~
授乳スタート
9時の回診でOKもらってシャワー予約
9時半シャワー。ロクシタンの試供品のシャンプーで艶々

10時半から授乳指導、学生さんが見学。
お腹の中で手を食べていただけあってとても上手。
12時にパン屋さんでかぼちゃの菓子パンを買う。

17:45 産後って、「トイレにいく」が娯楽になるからすごい。(ただし座るときは円座じゃないとかなり痛いしトイレの後もはりついたようで痛い。これを痛みと言うと思う。)

18:30 お腹はぽっこりしているが、もう右脇腹にてを当てても赤ちゃんの足はないのだな。

人生が1日目のひとと生きる日は、少し冷静で、出産前と後で何かが変わったような気はそんなにしない。それは、助けてくれた多くのひとが私にそう思わせてくれただけのことなのだと思う。サポートしてくれる行政や民間の機関に繋がれることが出来たラッキーさだったり、助産師さんたちの連係プレーだったり。人生で一番痛いという体験を経れば何かが変わることを期待していたが、実際は鼻からスイカがでる痛みではないし、トラックに轢かれる痛みでもなかった。(たぶん人生一番の痛みはぎっくり腰)。今は抜糸が人生で一番怖い。

ただ。この痛みに、一緒に育てたりサポートしてくれる機関がないような不安や、障害支援や療育の情報につながれなかったり耐えられない事実をサポート体制がない社会に身を置くなどが重なってしまえば、いくらでも恐ろしい体験になってしまうようなイベントではあるだろう。そういう意味で、産むひとと人生0日目のひとが安心してもたれかかることができる機関は必要だし、そこに飛び込むハードルをぐっとさげていってほしい。

本当は出産してもしなくても、昨日と今日は劇的に違い、かつ、代わり映えがしない。私は子ども産んで育てる人生じゃなくても、とても良い人生だったと思う。育てること、サポートすること、里親になることももっとほんとは特別なことじゃなくて自然にあることであってほしい。その上で、もし出産というイベントにとびこむひとがいるなら、変に特別にしすぎずにいられる社会だったらいいなと思う。特別にしすぎない為には、必要なひとが必要な情報につながることへのハードルがさがる必要ある。そして、必要ない情報につながらない必要もある。

今回はそんな感じでした。

finger

つわりでつらかったのは、大きな絵や刺繍がかけなかったこと。

腰から入る作品やフットワーク軽く作るパフォーマンスなどが好きだったけど、

つわりのにおいのつらさや体のだるさでできなくなった。

そんなとき、指先で描けるドローイングや指先でめくることができる小説に救われた。

指先の力。体全体を動かす作品もいいけど、指先で広がる感性はやはり救いだ。

2021.10.11

「老い」と「ひきこもり」のサポートは誰がするか

100分で名著というテレビ番組で、シモーヌ・ド・ヴォーボワールの『老い』を紹介していましたね。

私はアーティストで、妊婦で今夫と住んでいるのですが、

義の弟も同居していて、同居するまで行政のサポートを受けていない状態が続いていました。

◇二ヶ月前にやったこと

健康センターの両親ケアで状況を話す。

私自身のカウンセリングの予約(産前鬱予防)

◇一ヶ月前やったこと

夫に不安を話す(将来自分たちが責任を持つのか、金銭不安)

助産師に相談

〜〜

この間に、義母が吐いて私が7119して義母が入院したり、義弟が発熱して7119したりしています。

◇一昨日やったこと

私自身が抱いている、精神不安・金銭不安・未来の責任不安を家族に話す。

症状や状況がわからず、弟が福祉と繋がっていないことによる不安。

◇今日やったこと

朝・・・自分の妊婦検診の前に時間があり、義母から弟の気持ちを聞いたということを聞く。

今までは全く意向を話してくれなかったが、「そういう支援があるなら話に行きたい、将来的に働きたい」ということが聞ける。

自分の母子の方のカウンセリングで今の状況を話す。その際、義弟や義母が使えそうな心の相談電話を教えてもらう(心がわからのケア)

市役所にパンフレットをもらいに行く。そのまま、今の状況を相談員さんに話す。(夫も)

ひとまず、本当に弟が行きたいなら、まず市役所に月一で行くことから始めようかと話がまとまる。(その後、違う施設の方が相性がよく、通う場所は変わるが)

◇今の感想

思ったよりも早く支援のところに行けたなあという感想です。

もちろん、明日弟は行きたくなくなるかもしれませんが。

相談員さん曰く、「10年ひきこもりであれば、働くまでまた10年かかる」とのこと。

ボーヴォワールの「老い」と合わせ、

思ってしまったのは、

「結局、社会がサポートすべき金銭支援・安心のための支援・生きるための支援は家族が担うことになるな」ということ。

それも、いつも嫁が担う(100分で名著で聞けば、「強制労働」。評価されず、対価なく、感謝されない労働)

これは社会の金銭サポートがかなり受けにくい状況で、

ずっとずっと、家族がお金を担っていくことになるんだな、と、ひとまずは正しく絶望できたのがよかったです。

とはいえ、どんな問題も同じですが、

あきらめても諦めても、諦めさせられても諦めさせられても、

理不尽で、嫌だ、だから社会に金銭サポートしてほしいということは

ずっとずっと言い続けようと思います。

老いもひきこもりも、サポートは金銭的にも

社会・福祉がすべきと思うのです。

そんな感じの日記でした。

giveupaseat

譲られなかったことよりも、譲られたことを覚えていたいな。

今日の譲られ。『シェイクスピアを楽しんだ女性たち』を読みながらたっていたら「気づかなくてごめんなさい」と50歳くらいの本を読んでいた人に席を譲られた。以前は留学生だったようにおもう。その人も本を読んでいた。その前は綺麗にまとまった茶色の髪の人だった。譲ってくれた人は揃って賢そうで前向きそうに見える。むくみが辛いのでずっと座るわけにもいかないのだけど貧血もあるので譲られて今のところ全部助かっている。片手にビニールで嘔吐の恐怖(嘔吐じたいもメチャイヤだが、嘔吐しちゃうんじゃないかという恐怖もある)があるので、座ってると袋を広げやすく助かる。

ドライでソリッド

これはドライな言い方かもしれないけど。

と付け足して、半年ほど組み上げに関わったチケットアプリのデザインメンバーから私を外すことにタクミはした。

「ドライ…」

タクミのいうドライさの手触りに違和感を覚えながら、話を聞いていた。

構成は良い。だけど、グラフィカルな部分で合わない。あいつならもっとうまくやれるし、指示したことがない。言葉で伝えないといけないなら、合わないということ。合わない人とバンドは組まない。

「私はバンドメンバーじゃないんだけどな」と内心は自由に思いながらも、それを発言することでいい方向は行かないだろうなと直感した。

タクミのいうドライさが、単純にステージを良いものにすることに繋がっているのか、または合わないやつを外していくということ自体がある種のいけにえのように何かを喜ばせているのかわからなかった。

バンドメンバーに合わないやつは必要ないという理論は、まるでバンドがバンドだけで成り立っているように私には聞こえて、バンドを舐めている発言にも聞こえた。やめていったサポートメンバーや合わなかった裏方がいたから彼が思う世界が実現しなかったと注釈したがっているようだ。自分に合うやつを残し、合わないやつとの会話をやめると、行き着く先は語彙不足だ。こういう理論を聞きに来たわけではなく具体的に進めていくやり方をしにスタジオに入った私はちょっと面食らっていた。音楽というのは文化で、言葉で伝えられるものではなく、今までも伝えたことはなく、言葉で進めていけないと。

彼が付け加えた言葉は、線引きかつあえて私のプライドのようなものを切り捨てることが全体のためになるというような自分を納得させるやり方のひとつ、癖のようなものなのかなと思った。

しかし、ある日、今までセンス一本でやって来たところに、言葉で組み上げていく経験を持たず、急に立ち行かなくなることもあるだろう。細かな粒度で会話を重ね、産み出していくものを経験していないとき、細い線に立っていた足元が既に線から遠く離れていることに気づくだろう。言葉というのは足だ。固い地面を作るのは、いつも伝わらないことを前提としながらも、言葉を重ねる力だ。

ドライさに言及させた彼の口びるから、少しずつずれていく未來と選別をすることによる痛みを必要な犠牲だとする酔いしれを感じ、あらゆる言葉の積み重ねがチームとステージを作り、些末なものとの結び付きが今を組み上げていることを間近でみているようだった。

何がかれの口びるをこんなにも渇かせ、固くさせたのだろう。その言葉はステージがバンドだけのものだというように、関わってきた人たちへの尊敬を捨て去る危うさがある。

それは信念と対立を起こしているように感じた。彼のほうが私の何百倍も音楽を愛しているだろうに。

では、グラフィカルな部分は外注しませんか、と聴いて話がまとまった。

渇いていると肌は傷つきやすい。湿度をあげるとイライラが鎮まる。

私を本当に外したいなら、私を目の前にして言葉で話せないと言うのではなく、アプリチームの人に予め私がいない場所で伝えるだろう。不器用さ、だな。ただ自分が違うジャンルの人間だということをあげつらわれるだけの会だったなとひとりごちた。

だけど、ソリッドな土はまず潤すところから。ソリッドには固いとかかっこいいとかいう以外にも「私は大丈夫」だという意味がある。

タクミは自称ドライかも知れないけど、私は自称「アイアムソリッド」だ。積み重ねにいつも絶望し、観察し、粘ることができる。

novelwritingtoday

分断され
隣人が完全に理解できない隠れ◯◯◯◯だとわかっても
それでも自分の意見とは違う理解できない49.5%の隣人と
明日も一緒に生きていかなきゃいけない

オバマからトランプを経験したインテリが隠れトランプを悪いからと排除していたら、それこそ『動物農場』だ。ブリグジットを背景にしたアリ・スミスの『秋』みたいな苛烈な小説がアメリカから出てくるだろうし、それを書くのは私かもしれないしあなたかもしれない。早めによみたい。私も書くのでみんなも書こう。

credit

手柄と溶けることについて考えている。

あるトラックメイカーが、昔インタビューで「渋谷の全部のクラブをひとりで回せるわけないんだから、それぞれがお互いを大事にするのはあたりまえ」みたいなこといっていたような感じがする。

ひとりで全部できないし、影響を与えあい、分担するのはあたりまえなんだと。

それ以降、ジャンルがちがっても敵対構造になりそうな相手でも、こいつが気持ちよく活躍できることは最後俺にまわってくるし、ひいては全世界のカルチャーの質がよくなることにつながる、つまり俺の手柄…みたいに、自己肯定感がめちゃ高まるようにしてきていた。

逆に、誰か足を引っ張るようにするひとは、その人がのちのち引っ張られてしまうし、全体的に溶け合った世界ではそいつの無礼なふるまいは私の責任というふうに思うようになった。

良い作品がこのよにうまれ、それはワシの手柄。

ワシが良い作品をつくれば、それは溶け合った世界の手柄。(2020.9.6の日記)

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