childbirth

先日出産した体験をメモしていたので公開します。これまでフィクションと日記を混ぜるようなテキストが多かったが、今回はどちらかというと激しい体験を受けながら記録していったメモをそのまま公開するスタイルです。とても長いです。陣痛レポとしてお楽しみください。

人生1日目のひととの生活

10/23 (土)
昼は散歩してトッポギとかマフィンとか食べて多摩川を見に行ってのどかだった。

21:00 とぽとぽっと水がこぼれる感覚。バスタオルが必要なほどではない。生理用品も普通の日に使うくらいのものでいいかな、というくらい。→電話、病院で診察受けることに
ペットボトルに水1/3, お湯2/3を入れて股に挟んで行く。会陰をあたためるとよい、という、助産院ばぶばぶのHISAKOさんの言葉が頭の片隅にあった。

~車で病院へ~
入院のための紙を書く→右手人差し指の爪が割れる(痛い)という唐突なアクシデント→紙に記入するのが痛い。パートナーに「じゃあ後で帰ってくるかもね~」と言ってのんきに診察室へ。まさかここから7日間会えなくなるとは露知らず。

~診察へ。~
陽性だった!→陣痛室へ。→救急ロビーで待っているであろう入院連絡をパートナーにLINEメッセージでする。促進剤の同意書などの必要書類(来週入院で、破水では促進剤いらないと思ってたのでおいてきていた)を持ってきてもらえるよう、もちろん通話ではなくメッセージで連絡。陣痛室はすでに寝てる人もいる時間なのでこそこそなのだ。

~促進剤をのむ~
22:45にくすりを飲んだ
8時間後にものむことを忘れないようにメモする。

採血、うまくいかず4回刺される。痛い!これが印象に残っている。
(今までの検診でそんなことはなかった。総合病院の採血室の人たちがうまかったのか、検診は昼だから血がとりやすかったのか。くっそーとなる。そういえば、そもそもは私は血管が細いからこの病院に来るまでは健康診断でも採決は立ちくらみを起こしがちでうまい看護師さんに変わってもらったりしていたな)

モニター(30分くらいかけて心音とかお腹のはりを記録する)をつける。
つけながら、歯ブラシとか忘れたなーと思ってパートナーに連絡する

◇10/24

10/24 1:22 陣痛室。同室は2人。そういえば、夜やってきてこっそりカバンの中身を整理してベット脇を自分の好みに作り替える感じって、ユースホステルのドミトリーを思い出す。

1:32 心音計測 元気で生きてる。私は爪の先が割れて痛いけどそれ以外元気で寝れそう。

1:48 今までとは違う痛み、生理痛の延長の痛さビッグウェーブがくる。50秒続く×3、そのあいだにトイレ。けっこうずっとトイレにいたい感じ。痛みは手の指をわかめのようにフラフラ動かすとごまかせる。このあたりでは、デカイ松明の周りを踊る村人というイメージ持って振り付けのように手の指を動かしていた。ちなみに2時くらいまではこのノリでいけるが、3時からは声を出した方が上手にリラックスできると感じる。「あぁあぁあーー!」って言うことで体は弛緩できる。痛くて叫ぶんじゃなくて、声を出すことで痛みから逃れてリラックスするための行為なんだなと発見がある。

2:06 ベッドに帰宅。トイレ目の前なので助かると思ってる。陣痛の波の後に絶対にトイレに行きたくなるし、行ってるし、陣痛に耐えてる間はこれが終わったらトイレに座れると思って、トイレにいくことがご褒美みたいになっている。トイレが一種のアミューズメントで癒される。

2:21 胎動あり

2:31 心音チェック 陣痛5分以内 手はワカメで乗り切れる、
腰を自分でぐりぐりさする。気づくと割れた爪の絆創膏が剥がれそうになっている。
温かいタオル持ってきてもらう。薄いタオルでさらにつつまれているが、そのテープを剥がして絆創膏をぐるぐるまく。依頼すればやってくれるだろうけど、依頼する余裕なんかない。

2:33 胎動あり。ぐにぐにしてる。

2:46 胎動あり、陣痛が5分感覚。だが、いきみというより、お腹が勝手に動いて破水するという感じ。陣痛は20秒~39秒がマジで痛くて、計測しながら「40秒からいたくないはずだから!!」と自分の励みになっていた。
陣痛の波の度に学びがあり、足を動かした方が痛くないかもと思って動かして激痛を体験した波の後は深く反省して次は絶対に足を動かさなかった。そうやって波が乗りこなせるようになっていく。本当に計測のおかげで振り返りと改善につながったし、「かならずこの波は終わる」という規則性にずいぶん助けられた。

(計測は「陣痛きたかも」というアプリで行った。ストーリーで以前見たアプリ。こういうものがあるんだと思って本当に助かった。)

3~6時で、陣痛後に絶対トイレにいきたくなり、行っていた。トイレにいたい気持ち。トイレにいってるときも陣痛があり、体起こしてるほうがいいのかと思ってベッドに座って陣痛計測しながらのりきる。座ってから、声もでるようになったけど、うんちのいきみではなくおしっこのいきみというかんじ。

~「痛い」って言う?~
「痛い痛い~」って振り返ってみれば言わなかった。これはソフロロジーで産みたい人はそうするらしいけど、自分の場合はソフロロジーは意識していなかったけど、陣痛といきみは「痛い」と言うよりも、その痛みとともにリラックスできる体になるための「手をワカメにする」「口をあける(歯を食い縛らない)」「目は上を向く(みけんにシワを寄せない)」を実行するのに必死だったのだ。

陣痛と分娩は「あぁあああああ」「おおおおぉぉぉ」「いけるいける」「がんばってるねーー!」「偉い偉いー!」って感じの声が多かった。(逆に、爪の痛みや縫ったあとの痛みは「痛ててて…」という感じ。)

そういえば、「がんばってるねぇ、すごいねぇ、今日も偉い偉い」というのはパートナーの口癖だったな。そもそもは私がパートナーにいつも言っているのでそれがうつったんだけど、「偉い偉いね、がんばってるがんばってる」という、いきみのときに出てる声は、パートナーが言ってるようでとても良かった。

がっつり内診のようにしてもらえると、いきみが止められる。いきみは逃すときと出産するときで合計10~20回くらいしかしてないのでまじでスピード出産だったと思う。おしっこ的いきみ(破水)は4時頃からあったが。

~対面~
お腹のなかにいるときは、羊水にお魚飼ってるみたいな気分だったけど、実際出てくると「リアル!」て思った。
鶴瓶さんか土偶かガッツさんか宇宙人かと思ってたけど、初見はどれにも似てなくてシンプルに可愛い~~リアル~~って感じだった。
ペットボトルは入院前に買うでしょと思ってたけど買うのを忘れてた。湯タンポがわりのペットボトルもストローが合わない。
のどがカラカラ…。

~縫合~
出来れば会陰切りたくなかったけど、全開から出産まで20分ほどもないスピード出産だったため、切った。縫合は、「肉を縫うような表現をしているアーティストの表現への理解に一歩近づいた!」っていう感想を持った。
麻酔できないところはリアル~~に釣糸っぽい弾力のある糸が肉をスルスル通っていくのを感じるしね。出血けっこうあって大変だったみたい。Zで縫っても出血して~ときいて、「かがりぬいみたいなものかな?」と思っていた。

10代で描く「膣の縫合」は、社会が押し付ける倒錯的な処女性への執着や自傷による社会的役割の拒否のメタファーであることが多いように思う。けれど、実際の縫合は母体を裂傷から守る。なんだか目が開くような体験だった。

~カンガルーケア~
カンガルーケアで2時間くらいいっしょにいた。
そのときはおでこにしわがよってた。髪がウェーブなんだ~って思った。お腹のなかに入ってたときと同じで手を食べてたので、はやめに初乳にもトライ。あむあむしたり、そのまま寝てしまったり。
私のお腹を冷やすために(出血止めるため)アイスノン置いてあるので、子の足に当たらないように足を上にあげてあげたり。すでに自分の手が子を守る行為をしていて、「へぇー!」という感じ。
ここから先も、我が子への愛とか母性とかは感じずに、体が母性を持っているのだなということを客観的に見ているという状態がある。しかし、悲壮感はない。面白くて興味深い。

11時に泊まる部屋に移動してぐっすり。12時にごはん食べる。

15時半頃に会いに行って抱っこ。あくびもくしゃみも上手で可愛かったのでした。

10/25
~授乳~
授乳スタート
9時の回診でOKもらってシャワー予約
9時半シャワー。ロクシタンの試供品のシャンプーで艶々

10時半から授乳指導、学生さんが見学。
お腹の中で手を食べていただけあってとても上手。
12時にパン屋さんでかぼちゃの菓子パンを買う。

17:45 産後って、「トイレにいく」が娯楽になるからすごい。(ただし座るときは円座じゃないとかなり痛いしトイレの後もはりついたようで痛い。これを痛みと言うと思う。)

18:30 お腹はぽっこりしているが、もう右脇腹にてを当てても赤ちゃんの足はないのだな。

人生が1日目のひとと生きる日は、少し冷静で、出産前と後で何かが変わったような気はそんなにしない。それは、助けてくれた多くのひとが私にそう思わせてくれただけのことなのだと思う。サポートしてくれる行政や民間の機関に繋がれることが出来たラッキーさだったり、助産師さんたちの連係プレーだったり。人生で一番痛いという体験を経れば何かが変わることを期待していたが、実際は鼻からスイカがでる痛みではないし、トラックに轢かれる痛みでもなかった。(たぶん人生一番の痛みはぎっくり腰)。今は抜糸が人生で一番怖い。

ただ。この痛みに、一緒に育てたりサポートしてくれる機関がないような不安や、障害支援や療育の情報につながれなかったり耐えられない事実をサポート体制がない社会に身を置くなどが重なってしまえば、いくらでも恐ろしい体験になってしまうようなイベントではあるだろう。そういう意味で、産むひとと人生0日目のひとが安心してもたれかかることができる機関は必要だし、そこに飛び込むハードルをぐっとさげていってほしい。

本当は出産してもしなくても、昨日と今日は劇的に違い、かつ、代わり映えがしない。私は子ども産んで育てる人生じゃなくても、とても良い人生だったと思う。育てること、サポートすること、里親になることももっとほんとは特別なことじゃなくて自然にあることであってほしい。その上で、もし出産というイベントにとびこむひとがいるなら、変に特別にしすぎずにいられる社会だったらいいなと思う。特別にしすぎない為には、必要なひとが必要な情報につながることへのハードルがさがる必要ある。そして、必要ない情報につながらない必要もある。

今回はそんな感じでした。

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