河原温の死を信じてみる

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金藤みなみアートナビ
「河原温の死を信じてみる」

物騒なタイトルですみません。

昨日2014年6月29日にWikipediaでアーティストの河原温さんの死んだ日が記されました。1914年っていうおかしな日ですが、6月29日が死の日付なわけで、ちょっとほんとかな(2014のまちがいなのかな?)って思っちゃいました。

せっかくなので、河原さんの作品を紹介してみます。

河原温さん(以下敬称略)は愛知県刈谷市出身のアーティストですね。

刈谷市(かりやし)は、愛知県のほぼ中央の西三河地区の西端に位置する。境川を挟んで尾張地区に対する。江戸時代には土井氏二万三千石の城下町であった。現在はトヨタグループ主要企業の本社・工場が集まる日本有数の自動車工業都市である。

私、愛知というと小学校の頃に社会の時間にやった
「車の中京工業地帯」太平洋ベルトというのを思い出します。

少しだけ前、(いまも?)、日本は車の発展が目覚しい、かるくてすいすい、便利な車はシンボルでした

こういうものを発展させるには、
やはり具体的、
ミスがあったらその管理体制を考え直し、
あしたにむけて一歩一歩着実にイシバシを叩きながら
考えていくわけです。

そんなお国柄なわけなのかどうなのか、
照らしてみると、

彼は
「社会」というものを
扱う
日々学習と反省を繰り返し、自身をひとかどのものとして積み上げて、先の失敗とかケアレスミスとかを省いて、塔をたてる
(でもブランド化じゃない、)

って感じです。
見てみましょう。

《新聞と自画像 2009年》2009 山口県立美術館での展示風景
(※1)
(※2)
(※3)http://tokyo75.exblog.jp/5573817

こういうのがね、
美術館にばーっと
ストイックにあるわけです。

1個目のやつは毎日自撮りして、自撮りをもとに自画像を鉛筆で書いてます。

2個目のは、毎日今日の日付を描きます、筆で。

ちょっと、
怖いでしょ。
で、たんたんとしてます。

他にも起きた時間を描いてはがきでひとに送るのとか、生きてるよ~って電報するやつとかあります。

(起きた時間をツイートするひととか、最近見ますね)

これ、Todayシリーズは、
制作日のうちにはじめて、日付が変わるまでにつくらなくちゃいけなくて、できあがらなかったら破棄するらしいです。

ストイックすぎますね。

積み上げてるのに、
増殖してる感じとかはしないです。

確かめてる感じ。

どっかわからないとこに
ぴょーんて飛び跳ねる感じじゃなくて、

土台を固めてたんたんしてくんです。
日付が書いてあるもの、「日付絵画」って呼ばれてます。(通称)

文字と数字、そして二色の色彩だけで構成された、ほかならぬその抽象性ってことで評価されてます。

非常に積み上げるひとです。

例えば有名な話で、

お嬢さんが結婚式をあげるとき、
温さんは断りました。

「なんで?」
聞いたならば、

「毎日描かなければ意味がない作品があるから」

と。

作者がね、作品を素朴にできるなら正確に語ろうとする時は、言葉と作品がいい関係な場合が多いです。Robert Rymanみたいに。

さっき社会と言いましたが、
裏返せば「会社」です

今は和製ジョブズを探している時代だそうなので
毎日きっちり働くイメージはないですが、
私が子供の頃ブリヂ○○○の工場の近くにすんでいたとき、
車の会社のおとうさんたちは
毎日きっちり働いて、
きちっと定時を心がけていました。
(で、私の働いてた寿司屋にビール飲みに来てた󾦃)

こんなに日付にこだわる人の、死の日付がWikipediaという、Googleで検索したらまっさきに出てきちゃうページに、誰がやったかわからないけど書かれちゃうって、ちょっと意味合い感じます。
あんまりミステリー感はないんですが。

この、会社(くるまの)っぽい感じと

で、裏側というか、
ちょっとありのままがでてるんじゃないかなって
作品は、これ。


怖いですね。

浴室シリーズです。

結構悟ってアセンションして
次のステージへ(でもやや怖がってる)みたいなとこがあります。

Wikipedia、なんだったんでしょう。
そして、ウィキ信じるなよとも言われましたが、
日付を…というところをおもしろいなと思った思考の流れを書けたかなとも思うので、続報を待ちましょう。

簡単に書き換えられるものを信じるなというなら、
彼がたんたんと描き続けてきた作品が
人生の年表と呼応していて、
それがさらっと書き換えられちゃう、
作品が
期日に間に合わなければストイックに捨てちゃう、
これらが、
何かつながっているように感じませんか?

では、

また何処かでお会いしませう。

Copyright 2014 金藤みなみ

引用
※1
http://www.yebizo.com/jp/forum/essay/fukuzumi/essay1.html

※2
http://26.media.tumblr.com/NkCcllECjqtksjmqjZn1Z9neo1_500.jpg

House Conference Project Vol.1

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kinmi_bnr


渋家カンファレンス「蔵屋美香と林道郎と金藤みなみ+増沢大輝が渋家を語る」

House Conference Project Vol.1

「今、私たちを収蔵できますか?」
– アーティストとアーカイブ –

私たちは来るべき未来に向けて
いかに準備し共闘し作り続けるのか

■趣旨
シブハウスは日本のアーティストコレクティブです。
近年では森美術館ディスカーシブプラットフォームに選出され、アートを生み出し発表する場としての機能をより緻密に構成して行く動きが出ています。

今、アートを発表し続ける機会はあまりにバラバラで混沌としていて、見えづらく、何に出会うべきなのかはもはや運に任せるしか無い状況です。

私たちは、アート作品一つ一つではなく、アーカイブすることによって、いかにシーンを作り上げるかを考えることが、文脈との出会いに繋がるのでは無いかと考えてきました。

現代において、アーティストと収蔵・アーティストとアーカイブの関係は、何も私たちだけが悩んでいる問題ではないはずです。

作品を発表し続ける大きな流れについてを考え、アーカイブして提示する事によって、よりよい機会との出会いを考えます。

■参加費
500円
(無限カレー付)

■内容
オープンな形式のアート討論イベント。
シブハウスメンバーが現在のアートシーンにおける若手の実情などをふまえた上での収蔵に
関する問題や疑問を、実践的なプロジェクトの最先
端を走っておられるキュレーターの蔵谷氏、批評家の林氏と共に語り、探索して行きます。

18:30 受付開始・開場
19:00 カンファレンス開始
20:00 来場者を交えた質疑応答

■ゲスト
蔵屋美香
千葉県生まれ。女子美術大学で油彩画を学んだ後、千葉大学大学院に進む。修士論文は明治初期の洋画について。1993年より東京国立近代美術館研究員。2009年より同美術課長。おもな展覧会に「ヴィデオを待ちながら―映像、60年代から今日へ」(2009年、三輪健仁と共同キュレーション)、「ぬぐ絵画―日本のヌード 1880-1945」(2011-12年、第24回倫雅美術奨励賞)など。2013年には、アーティスト田中功起とともにキュレーターとして第55回ヴェネツィア・ビエンナーレ国際美術展日本館を担当する。

林道郎
函館生まれ、東京都在住。上智大学国際教養学部教授。1999年コロンビア大学大学院美術史学科博士号取得。2003年より現職。専門は美術史および美術批評。主な著作に『絵画は二度死ぬ、あるいは死なない』(全7冊、ART TRACEより刊行中)。「零度の絵画—RRの呟き」(ロバート・ライマン—至福の絵画展、2004年)、「光跡に目を澄まして—宮本隆司論」(宮本隆司写真展、2004年)。共編書に『From Postwar to Postmodern: Art in Japan 1945-1989』(New York: The Museum of Modern Art, 2012)などがある。「アジアのキュビスム」展(東京国立近代美術館、2005年)には、キュレーターとして参加。

■日程
2014年3月1日(土)19:00~22:00

■場所
渋家
※住所情報は下記申し込みの返信に記載致します。

■申し込み
※事前予約
【 当日の予約について 】
予約受付を終了していなければ可能です。予約確認のメールをお送りできないことがありますが、お気軽にお越しください。会場の準備などがありますので、お知らせいただけると助かります。ご協力よろしくお願いいたします。
【 メール 】
メールのタイトルを「カンファレンス予約」とし、氏名/メールアドレス/予約人数を明記したメールを下記のアドレスまでお送りください。24時間以内にこちらから予約確認のメールをお送りいたします。予約をキャンセルされる場合は事前にご連絡ください。

shibuhouseinfo@gmail.com
以下を明記してお送りください。
===
<メールのタイトル>
カンファレンス予約
<メールの本文>
(1)氏名:◯◯◯◯
(2)メールアドレス:◯◯◯◯@◯◯.◯
(3)参加人数:◯人
===

■その他
シブハウスウェブサイト
http://shibuhouse.com/
https://twitter.com/shibuhouse
https://www.facebook.com/events/203896739818170/

—————⊿

渋家カンファレンス「蔵屋美香と林道郎と金藤みなみ+増沢大輝が渋家を語る」

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– アーティストとアーカイブ –

私たちは来るべき未来に向けて
いかに準備し共闘し作り続けるのか

■趣旨
シブハウスは日本のアーティストコレクティブです。
近年では森美術館ディスカーシブプラットフォームに選出され、アートを生み出し発表する場としての機能をより緻密に構成して行く動きが出ています。

今、アートを発表し続ける機会はあまりにバラバラで混沌としていて、見えづらく、何に出会うべきなのかはもはや運に任せるしか無い状況です。

私たちは、アート作品一つ一つではなく、アーカイブすることによって、いかにシーンを作り上げるかを考えることが、文脈との出会いに繋がるのでは無いかと考えてきました。

現代において、アーティストと収蔵・アーティストとアーカイブの関係は、何も私たちだけが悩んでいる問題ではないはずです。

作品を発表し続ける大きな流れについてを考え、アーカイブして提示する事によって、よりよい機会との出会いを考えます。

■参加費
500円
(無限カレー付)

■内容
オープンな形式のアート討論イベント。
シブハウスメンバーが現在のアートシーンにおける若手の実情などをふまえた上での収蔵に
関する問題や疑問を、実践的なプロジェクトの最先
端を走っておられるキュレーターの蔵谷氏、批評家の林氏と共に語り、探索して行きます。

18:30 受付開始・開場
19:00 カンファレンス開始
20:00 来場者を交えた質疑応答

■ゲスト
蔵屋美香
千葉県生まれ。女子美術大学で油彩画を学んだ後、千葉大学大学院に進む。修士論文は明治初期の洋画について。1993年より東京国立近代美術館研究員。2009年より同美術課長。おもな展覧会に「ヴィデオを待ちながら―映像、60年代から今日へ」(2009年、三輪健仁と共同キュレーション)、「ぬぐ絵画―日本のヌード 1880-1945」(2011-12年、第24回倫雅美術奨励賞)など。2013年には、アーティスト田中功起とともにキュレーターとして第55回ヴェネツィア・ビエンナーレ国際美術展日本館を担当する。

林道郎
函館生まれ、東京都在住。上智大学国際教養学部教授。1999年コロンビア大学大学院美術史学科博士号取得。2003年より現職。専門は美術史および美術批評。主な著作に『絵画は二度死ぬ、あるいは死なない』(全7冊、ART TRACEより刊行中)。「零度の絵画—RRの呟き」(ロバート・ライマン—至福の絵画展、2004年)、「光跡に目を澄まして—宮本隆司論」(宮本隆司写真展、2004年)。共編書に『From Postwar to Postmodern: Art in Japan 1945-1989』(New York: The Museum of Modern Art, 2012)などがある。「アジアのキュビスム」展(東京国立近代美術館、2005年)には、キュレーターとして参加。

■日程
2014年3月1日(土)19:00~22:00

■場所
渋家
※住所情報は下記申し込みの返信に記載致します。

■申し込み
※事前予約
【 当日の予約について 】
予約受付を終了していなければ可能です。予約確認のメールをお送りできないことがありますが、お気軽にお越しください。会場の準備などがありますので、お知らせいただけると助かります。ご協力よろしくお願いいたします。
【 メール 】
メールのタイトルを「カンファレンス予約」とし、氏名/メールアドレス/予約人数を明記したメールを下記のアドレスまでお送りください。24時間以内にこちらから予約確認のメールをお送りいたします。予約をキャンセルされる場合は事前にご連絡ください。

shibuhouseinfo@gmail.com
以下を明記してお送りください。
===
<メールのタイトル>
カンファレンス予約
<メールの本文>
(1)氏名:◯◯◯◯
(2)メールアドレス:◯◯◯◯@◯◯.◯
(3)参加人数:◯人
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■その他
シブハウスウェブサイト
http://shibuhouse.com/
https://twitter.com/shibuhouse
https://www.facebook.com/events/203896739818170/

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【あなたの右腕】2014.1
ひとは一生をかけて身体を磨く。

かつてふにゃふにゃとしていた身体を自立させ、育て、特化させ、自身から切り離すことがひとの成長であり自立であり美の瞬間だと定義する。

【身体の消失と地域性、あけら】2013.3
私が主に関心を寄せたテーマは身体の消失と地域性です。これまで、「あけら」という架空のクリーチャーのかぶり物を着て東京、ソウル、ヘルシンキ、黄金町等各地を転々とし、歩く行為を用いてパフォーマンス記録を収集してきました。例えば、東京の繁華街と東北の農村で、同じパフォーマンスをし、2つの映像を比べると、街の人々のリ・アクションの違いに気づきます。東京では人々はシャイで、慌ただしく通り過ぎ、まるでパフォーマーが”見えない存在”かの様に映ります。東北では、壮大な景色とともに何気ない人々の声かけが土地の存在を浮き上がらせましす。その土地で暮らす人が、その映像を見て、”土地が違って見えた”と感想をくれました。その土地を行き交う人々の息づかいが。映像を通して土地にある’何か見えないもの’が可視化され、パフォーマーが’歩き去った後も鑑賞者に場の存在を感じさせます。


このプロセスを断続的に行い、シーンを繋げる事で、定点としての”故郷”を背負って歩き続ける姿を引き出します。

【ミーティングプロジェクト】2013.11
ミーティングプロジェクトでは「ミーティングそのもの」がプロジェクトであると考えます。

「作品とはどうやったら作ることができるのか」という純粋な疑問を、私たちは素直に問います。
ふつふつと湧き出るように生まれる「作品」を「文脈」に出会わせるために、「作品の作り方」の在り方を少し変えたいのです。
頭ではわかりそうで、わかりきれない言葉達を自分の頭の中だけにプールさせるよりも、
私とあなたは出会いたい。
ミーティングとは、本来課題解決の為に行使される手段です。
これから出会うよい「作品」たちをよい「文脈」と出会わせる為のプロジェクト、
それがミーティングプロジェクトです。