婚後の話 1

◇籠の目

南富山行きの路面電車の窓に映る山々が雪を冠のようにして空との境界線をはっきりと分かち、私たちを見ていた。12月の空はすっきりと青く、東京よりも水分を含んだ空気にほっとする。私たちは富大で電車を降りた。新井五差路さんの歩幅が大きく、気づいたらずっと先にいて私を呼んでいた。「はやめに行かないと、雨が降ったらみれません」と、立山が見えなくなる心配をしてくれた。呉羽山の民芸村から頂上まで、まだあと15分はかかりそうだ。ここに来てから2日間晴れていることを、売薬資料館の籠を見ながら伝えると、「う~ん」と言って、金藤さんが来る1週間前はずっと雨でしたよ、と五差路さんは眉を下げた。

私は東京で夫が私に「あげた」という、籠を探していた。結婚する前に、確かにもらった気もするのだが、どうにも思い出せない。私は富山に仕事の用事もあることもあって、その、「籠」に似たものがありそうな民芸村に来た。正直、日常の中ではそんな些細なことは忘れている。しかし、富山に1週間行くという予定が立ったところで、急にその籠についてを思い出した。私たちはとても現代的な夫婦で、仕事では別々の苗字を使い、指輪などもいらず、つまりモダンな生活を志向した。ただ、名前や所有物については旧社会批判もあったが、「墓を守って行く」といったことについて、私はとても興味があった。それは歴史的、民俗学的な興味からであり、日々、手製の神棚に手を合わせて自身の心を安らがせていることによる、「習慣的な癒し」に後押しされた魅力であった。私も夫も、それぞれが自由だ。しかし、それは私達らしく無い、とても旧社会的なものの裏返しばかりを求めてしまうが故の振る舞いなのではないか?「籠」は、彼の曽祖母のものであったらしい。部屋の畳の中にあると、なんでも捨ててしまう彼でも、捨てることすら忘れてしまうくらいの自然な雰囲気で、ついに残しておいてしまったらしい。私たちはとても自由で、自立していて、だからこそ死んだ時にどちらの墓に入るか?といったような、避けては通れないはずの議論を、いつもし損なった。彼の家は何度か跡継ぎが途絶え、墓は分からず、一番古いものといえば籠だったそうだ。彼の、学校の先生をしていたという祖母の手先は器用で、手編みのベレー帽を見ると、ああ、こうやって昔籠を組んだ遺伝子が混じっているのかもしれない、と、思いを馳せることがあった。敬う気持ちと同時に、ある程度、触れてはいけないような、禁忌こそ感じた。人は恐れによって人を支配してはならないといったようなことが、おそらく「新しい社会」に生きる現代的先進的な人々に課されている。しかし、人間は、恐れているものについてを優先し、愛しているものについては簡単に壊してしまうような性質を持っている。人間という、身体的に見て脆いものが、代々守ってきたものを簡単に紛失していいわけがない。

私は結婚し、自由であるはずなのに、何かを恐れている。もらったはずの籠を、日常の中では紛失している。だから、せめて民族民芸村に来て、ああこういうものか、と見て、言い方を間違えてしまうかもしれないが、なんだこんなものかと諦めてしまいたい。夫が忙しくて、私は時間があった去年の冬の話だ。

呉羽山の頂上に登ると、立山連峰が視界に収まらないほどの大きさで目に飛び込んで来た。とたん、私は脳の中でキリキリと稜線を引いて行く。子供の時に鉛筆で写生をするようになってから、私は何かものが目に入ったら、即座に心で線を引いてしまう。木にも、雲にも、山にも。境界線を強い線でひいたら、反対側はぼかし、立体感を出していく。そうやって、画面の中の材質の違いを強調するのだ。よく見て、形をとらえ、画面の中で再構成する。脳写生は私の癖であり、習慣だった。量感を、線で構成していく。全く違うものが隣り合った時には、はっきりとキワを描く。きっちりとキワを目立たせる時は、こことそこは違うものであるのだと警戒するような気分で、清々しかった。

五差路さんが、普段は富山で山を見てもそこまで感動しないけど、これは、さすがにすごいですねと笑顔だった。私は普段山を見ないので、その倍感動した。その後、途中で配布されていた、様々な民芸品の載った民芸村のパンフレットを読みながら歩いていると、五差路さんが降りて行く道の脇に、「大仏」と書かれた木の看板を見つけた。

どうしてこんなところにと二人で顔を見合わせたが、せっかくなので階段を降り、民家の庭にある、6mはあろうかという個人蔵の大仏を見た。この大仏が、ただ、民家に迫らんばかりの迫力で立っている事実はもちろん、大仏が水平に首をひねってやや右に向いているのが気になった。体と顔が違う向きを向いている。そして、その目線のところに、民家の2階のバルコニーがあり、そこに、40cmほどの目籠があって、私は飛び上がった。「五差路さん、目籠が」と言って、振り向くと、そこには五差路さんの半分ほどの背丈の小鬼が立って居た。

驚きすぎて声が出なかった。しかし、相手は人間でない分、間違いなく恐れることができると言う安心感が同時にあった。奇妙な感覚だった。人は何かを畏怖する時、初めてみずみずしい美しさを手に入れると思う。そして、恐れることで、自身と自身以外の境界線をくっきりと描かせる。もっと、私たちは違うのだという、わかりやすさが、生活の中にもあればいいのに。怖い!と恐れることのできる、小鬼を見続けた私は、「あっ」と思い出して、手に持っていたパンフレットの籠のページを小鬼に見せた。。小鬼はワッと慌てふためいて、ぼやけて消えた。いつだって、相手との立場は交渉が決める。怖いものに対してでもそうだ。そのみずみずしさを、私は失っていたのだと思った。勝ったような負けたような。ともかく、籠を見せてみてよかった。

籠の吊られた民家のチャイムを鳴らした。私は民俗学の学生で、二階に吊った籠を玄関に吊った方がいいということを女性に伝えた。ああ、久しぶりのいい天気だから、吊っていた目籠を玄関に下げるのを忘れていましたよ、と返され、ふふふと笑われた。女性は今焼いたのだからといって、鰯を私によこし、カゴを玄関に下げた。私は駅で買った吉乃友を女性に渡し、もう一度観音様に手を合わせた。

小鬼はすでにいなくなり、五差路さんが観音を撮っていた。「あの目籠の場所が違ったそうです。」と伝え、あの目籠が、夫のものであるかを考えた。違うけれど、何かが正しい場所にあるということが、私たちの姿勢を見えやすくしてくれると思った。目籠は一種の魔除けで、多くの目で見られては、鬼が恐れて近づかないのだそうだ。

夕方、五差路さんと別れ、夫に電話をした。夫はすぐに出て、籠がシンクの下の戸棚にあったと教えてくれた。そんな湿った場所においてしまっては、どうりで湿っぽいやつが近づいてきてしまうわけだと笑って、彼に、お墓まいりについて、今度お義父さんに聞いてみよう、と尋ねた。お墓について、聞いていい人と、聞いて答えがない人が混ざる家族だが、そういうこともある。お墓はきっとどこかにあるのだ。籠が私たちの手元にあったように。お彼岸じゃなくても、聞いて見るという行動が、墓参りに一つ近づく作法であろう。

どこに行ったって誰かとの距離や目が気になっていたのに、今は私の体にも、皮膚を突き破って生えた目がたくさんあるようだった。いや、怖いことをいいたいのではない。自分の中に客観性を持っておくという話だ。自分に目が二つしかないなんていつ決めたんだろう。もっとはやく、この沢山の可能性に気づけばよかった。これからは、もっと冷静に、真摯に、生きていけるだろう。籠の目が私を見守り、可変する私に輪郭を与えてくれるだろうと、籠の効能を勝手に決めた。

 

 

写真提供:新井五差路

明るくて苦言

叔父は、主義の無い仕切りをしたがる、他人の繊細さに土足で入ってくるような人だったので、僕はなるべく彼の飲み会に参加しないようにしていた。前に飲んでいたときに話した、仕事がこういう条件でも良いかという話を、あろうことか僕の職場の先輩にしてしまって、大事には至らなかったものの、僕は随分憤慨したものだった。

ただ、家族経営の北陸の酒蔵の、時々電話がかかってきて予約を受ける見学コース(といっても、蔵の鍵をあけるだけだが)の仕事は、叔父と母と兄と僕だけで行っていて、あまり人気もないので、とりあえずほとんど叔父任せでいた。

 

そんなときに、叔父が風邪を引いたということで、僕に電話がかかってきた。明日の見学を、変わってくれないかということだった。明日は友人とライブを見に行く予定で、それは夕方からだし、実はそこまで興味のないバンドだということも手伝って、僕は友人にキャンセルの連絡をした。それで、夜に変わってもらうか決めるということだったが、また電話がきて、夜ではなく明日の朝7時に変わるかどうか決めるので、また朝に電話すると言われた。もし変わらないことになっても、それはそれで面倒くさいなと思った。いけるいけないいけるといったやりとりをすると、相手には本当に嫌な印象を与える。しょうがないので友人に曖昧なことは送らず、明日の予定はあけておいていた。朝起きると、母を含む全体メールで叔父が薬で復活しました!お騒がせご心配おかけしました!見学は僕がやります、

とメールが来ていて、僕はわりとがっくりきてしまった。治ってよかった、とは思うが、結局はこの人は僕が振り回されたり、他人を振り回したりしたくないという気持ちについてはわかってはくれない。

 

それで、昼頃に叔父に会って、今後はやっぱり夜に決めてほしいわ、と、まあ嫌みか嫌みじゃないかわからんさっくりと言ってみると、(僕は小学校まで金沢にいたのでわりと京都的な嫌みを言うキャラだと思う)突然叔父は、「は?」と言った。

 

叔父は、たまから電話で確認して、聞いただろうが、それは、ものすごく気を使ってるだろうが、気を使ったつもりやけど、その予定は復活できないのか、そんなことに今気づくなんて、学べて良かったな、と、俺が言うことじゃないかもしれんけど、と、まくしたてた。

 

僕の中の常識としては、そんな風に気軽にスケジュールを入れたり出したり、ところてんじゃないんだから、できない。相手の予定や時間を、適当にみているやつだと思われかねないので、当然復活できないってことが、叔父には、伝わらない。なぜ相手の時間を大切にする態度というものが伝わらないのだろう、と思うと同時に、他人の繊細さに土足であがるタイプの彼でもって、いわゆる嫌みのようなことを、言ってみることもあるんだなと、妙なところに新鮮味を覚えて、言われている言葉に対して、そこまで嫌な気持ちにならず、驚いていた。

 

自分が、相手はこういう人間だと決めてしまっていても、他人はそこを軽々と越えてくる。面と向かって嫌みをいうところが、嫌みとしては甘いが、それでも、自分の中の叔父のイメージが書き換えられ、更新されたのだ。人間の豹変する姿をみるのが、興味深いんだなぁ、と、なんだか納得してしまった。

 

 

黙っている僕に、まあ、今日が良い日になるとええな、と、言った後、俺のせいですみませんでしたね、と、変なトーンで言われた。嫌みにも聞こえるし、本当に謝っているようにも見える。何にせよ、どんなに嫌でも、少なくとも言葉にしてもらわないと何を考えているのかは他人には分からないし、こうやって、嫌なことを嫌だと言っていくしか無いのだろう。

 

 

最後に、こんなに辛気くさい蔵も、こんなに明るいおじさんに大切にしてもらえて嬉しやろなぁ、と、叔父に聞こえるか聞こえないか位の小さな声で言った。これからも変化し続ける、俺の最大級の賛辞を込めて。

orange

2018年3月29日

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◇橙の花の習慣

朝起きて、2分間プランクをする。プランクというのは、腕を動かさず、腕立て伏せの姿勢を保つような、ある程度簡易な筋肉トレーニングだった。私はこの習慣を、2015年から欠かさずにいた。

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夫が、「俺も筋トレしようかな」と言った。これは私にとって衝撃だった。なぜなら、彼は「筋トレをなるべくしないように日々努力している」と豪語し、友人たちとの突発的な腕相撲トーナメントで清々しく最下位を取った男だからだ。「ツイッターを見たんでしょ」と私が言うと、あからさまに驚き、なぜ知ってるの、と言う。私は、フリーランスに筋トレを勧めるツイートを昨夜見て知っていた。「煙草をやめるツイートも、誰かしてくれないかなあ」と、軽く呟いた。誰かにやめろって直接言われても止めないだろうけど、ツイートを見たらやめてしまうかもしれない、と、夫は変な顔をして言った。そして、オレンジの花が描かれた、60cm程の高さのまん丸とした花瓶から、タバコを取り出して、私たちのバルコニーに行って火をつけた。バルコニー。ここに、人口芝でも植えてみようかと血迷って金額を叩き出したこともあったけど、1週間ほどして、そんなことを考えていることも忘れてしまった。それよりも、朝は簡単にストレッチをして、簡単なお粥と納豆を食べて、とっとと出かけてしまった方がいい。

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出かけた先の竹橋は、桜も桃も観光客を満開の花びらで出迎えていた。近代美術館の年間パスポートを2年前にもらっていたのに、使わないままここまで来てしまった。パスポートを見せ、「来年の3月末まで有効です」と言われ、3月1日に来ても3月31日に来ても、3月末まで有効であることに気づく。しまった、と思った。しかし、ポイントカード等を持つのをすっかりやめて、そのことですっきりした気持ちになっていたので、思い直して、30日くらいのことでがたがた言うのはやめよう、と考え直した。

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しかし、30日あれば、人は習慣を作ることができる。簡易なストレッチも、朝起きる時間も、30日間どうにか続けられれば、逆に依存して、抜け出せなくなるのだ。家にある橙色の花が描かれた白い壺も、また、夫がなんでもなげこめるように持っているものだった。あれはどこにいった、これはどこにいったと探さずに済むように、鍵と煙草はこの壺へ、と習慣化させていっていた。この壺は、実は一度金継ぎしてあって、割ったのは作者の私の友人だった。美大の工芸棟で、金継ぎされてあるこの壺を見て、「これ、いいね」と言うと、友人は笑って、「練習だけどあげるよ」と、プチプチと段ボールに包んでくれた。これは良いね、と、ちょっと良いと思ったら言う癖も、私は人生が生きやすいように習慣化したものだった。だって、良いものをなるべく良いと言うようにしていたら、私にもいつか「いいね」と言ってくれる人が現れ、その人数が増えるかもしれないんだもの。なんにせよ、私は優しい感じのもの、暖かい色のものを褒めるような癖を、日常に落とし込んでいた。

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あの壺の釉薬の色、廃盤になっちゃったんだよ、と、有楽町の駅ビルに入っているカフェで、「壺の作者」の友人が呟いた。しばらくぶりにあった彼女と、彼女の0歳6ヶ月の娘の、鼻や口元が似ていることを何度も確かめて不思議な気持ちになる。彼女はきな粉をミルクティーに入れるのが好きで、なるべく季節に合わせた特別なお茶を飲むことが好きだった。私は彼女のそう言うところがいいと思っていた。千葉から赤子を連れて電車をのりついだ友人は、甘いお茶に飢えていた。洗濯機をいくら回しても終わらないことや、新作のイチゴパフェを食べられなかったといった日常の話と、好きな漫画の話をひとしきりしたあと、再度制作の話に戻る。

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作品作りに、ここまで習慣が有効だったなんて思ってもなかったよ、と、何かに気づいたような、ひたすら諦めたようなトーンで、語る彼女の毛が、明るいカフェの中でふわふわとそよぐ。私は、ほとんど1日置きくらいに、彼女と連絡をとっていた。私は突然連絡を途絶えさせてしまうことがよくある、自分の性格について、何度も悩んでいた。しかし、彼女に、連絡途絶えさせるくらい何よ、いつだって、突然縁を切るみたいに勘違いするのは相手なんだから、あんたはあんたがしたことに、勘違いをせずに、縁を切ったんじゃなくてボリュームを下げたのよくらいの心構えでいなさい。自分を自分で取り違えちゃだめよ、と、砂糖を30回くらい入れたようにざらざらとしたコーヒーをすすりながら言っていた。巷では糖質制限が流行っていたし、白色の砂糖は中毒性が高いから気をつけなくてはいけないよ、と、私が三温糖をすすめると、何よ、下の毛が抜きにくくなるじゃ無い、と、ゲラゲラと笑った。彼女は白砂糖とレモンを使って、アンダーヘアの処理を自分でしているのだった。どんなことも、自分の手で作るのよ、習慣は、思い切り向き合うんじゃなくて、なるべく視界に入るくらいの距離に、やりたいことを置いておくといいわ、と、教えてくれた。

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いつだって、生きていくために必要なものは、そんなに多く無い。お家の中で何かがどこかへ行ってしまったって、案外必要じゃなかった、みたいなことだってある。帰宅して、春の突然の暑さにボーッとしてしまって、水筒の水を飲んで、寝転がって、一息ついた。それから靴下だけを着替えて、玄関に行って、もう売られていないという釉薬で暖かく着彩された壺を見る。なんて美しい、やさしい形。どうしたって必要な鍵と、彼にとっては煙草とを、壺から出して、横に置く。それから帰りがけに買ったベルフラワーを植え替える。なんて可愛い花。壺を抱きかかえて、畳の部屋に置いたり、机の上に置いたりして眺め、写真を撮った。なるべく視界に入るくらいの距離に置いておくべき、私が大切にしたい形っていうのは、こういう形で、この形のようなものを、生活に落とし込んで生きたいんだ。それは、無くしてしまった何かを探している時間とは対極の考え方のように思える。なんでも無い、雑な私の日常の中で、あれこれ工夫して撮影した写真が、私の人生はこのような美しいものでもあるのだ、と、誰かに褒められているようでくすぐったい。思い返せば、私はこの壺に、やっぱり、今、いいな、と思うものをどうしても植えたかったのだ。

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彼が大事なものをなくさないように、この橙色の花の壺以外に、何か箱を用意してあげよう。例えば菓子箱のような。みんなが嫌厭する、白砂糖たっぷりのクッキーの缶を。マンダリンを入れて、ゆっくり一息つこう、と思うのだった。

balcony

ベランダ
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いつか新品の部屋に住もう、という夢が、僕の心を豊かにしてくれていた。
夢はいつも胸の中で光る。小さいころ、いつも芸能人の部屋を紹介するテレビで、彼らのこだわりや間取り、リビングの広さや吹き抜けの気持ち良さを見ると、住処というものを愛することは人生そのものなんじゃないかと思えた。14歳の時、1ヶ月くらいオーストラリアにホームステイしたら、バルコニーのバラが綺麗で、いつか小さくてもマンションでもいいから、自分だけの家を持って、ベランダにバラを咲かせたいと想像したのだった。
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「なおみ」
と、ワゴン車の助手席から、後ろに乗っている僕に、父さんが声をかける。僕は直文という名前だが、父さんはなおみと呼ぶ。土曜日の朝だった。18歳になった僕は大学一年生で、ありきたりな五月病にかかりつつ、毎日眠くて今日も引っ張り出されたのがイヤだったので、ちょっと舌打ちしながら、何、と聞くと、「ほら、家」と言われる。右手に、ボロ家が見えた。外壁が白く塗り替えられたようだ。運転席のデンさんが、おお、と感心したように声を出す。デンさんは父さんの親友で、建築の仕事をしており、ガッシリ引き締まっている。「トビなの?」と僕が聞くと、トビやってたけど腰をダメにしたひと、と言ってヘラヘラ笑った。ボロ家は今日から住むわけではなく、父さんとデンさんと誰か父さんの友達たちとコツコツリフォームして住むと言う。父さんもデンさんももう50歳になるのに、こういう学生っぽいことが好きだ。リフォームだって金かかるのに、と、僕は文句を言いながら、車を降りた。ここに来るのはもう3回目だが、自分がこのボロに住むつもりは毛頭なく、今日も2階のベランダでタバコでも吸っていよう、と心に決めていた。このベランダは6畳ほどあり、なかなか広くて、下を見ると草がぼうぼうに茂っていた。デンさんが工具品で有名なマキタの掃除機を一階でかけている音が聞こえた。ベランダでうつぶせになって、チラチラ見えるデンさんを上から見ていると、草でぼうぼうになった庭にデンさんが入っていって、60cmくらいの太さの木に何か細い紐のようなものを巻きつけていた。ぐいぐいと巻いて、しめ縄のようにしたら、デンさんは木に手を合わせた。なんだか神聖な様子を盗み見てしまったような気持ちになった。
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僕には特定の信仰なんてないけど、手を合わせるとすっと心が晴れるような気持ちはわかる。あんな小さい木に神なんて宿ってないだろ、と、普段の僕なら言ってしまうかもしれないけど、高いところから見たデンさんの行為には、不思議とほっとするような、人を勇気づける力があった。じっと眺めていたら、急にデンさんが振り返って、僕を見た。カッと顔が熱くなって、目をそらす。やる気もないのに、来いと言われたら断りきれず、ぶつくさ言って、2階でダラダラしてる自分が恥ずかしいと思った。
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1階に降りていくと、父さんがマキタのコーヒーメーカーでコーヒーを入れていた。あちあちのコーヒーをすすっていると、ギュイーンというけたたましい音がして、僕は庭を見に行った。そこでは、軍手でペリカンばさみを持って、庭の木を剪定しているデンさんがいた。横手にはデカイ草刈り機と草の山があって…木でできたフェンスとアーチが倒れていた。これは、昔オーストラリアで見たような、バラの為のアーチだろうか、ツルがカピカピになってアーチを取り巻いていた。ツルのあるバラが生えていたのかもしれない。なんだかちょっと悲しい気持ちになって、倒れているアーチに近寄った。
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「隣の家がツゲやってる」
デンさんが僕に言った。デンさんに見られるとむずむずした。つげ?と聞くと、デンさんは、うん、と言う。「ツゲは、バラと相性悪い植物」と。あっ、と思った。それで、この家のか弱い花は、死んでしまったのかもしれない。キンメイツゲはどこからともなく生えてくる低い木で、バラの根張りを邪魔することはなんとなく知っていた。この家が死んでから、隣の家はツゲを植えたんだろうか。家を手入れする人がいなくなっても、バラは生きていたんだろうか。バラなんて難しそうな花は、庭木くらいで死んでしまうのだろう、そう思うと、あんまりだった。なおみは気難しい、とよく父さんにからかわれ、父さんに言われたくない、とすぐに嫌味を言う自分がもっと腹立たしかった。デンさんのようにどっしり構えていたかった。デンさんに話を聞いて欲しかった。
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「2階のベランダでバラやろうか」
デンさんはそう言いながら、アーチに巻きついているツルや細い木を丁寧にペリカンばさみで切っていっていた。バラなんて弱いの、俺らに育てられるわけないじゃん、と憎まれ口を叩くと、デンさんは「いや、バラは丈夫だよ」と言った。ちょっと驚いた。「手間がかかるって言われがちだけど、場所にあった種類をきちんと選ぶと結構楽しくできるんだよ。新苗は数年かかるけど土に根付き易いから、アーチのツルはこのままにして、とりあえず大苗を買いに行こうか」と言った。いつものデンさんより、少し興奮しながら、バラについて語るデンさんが、可愛かった。彼は「俺は結構手をかけるのが好きだから、バラ結構好き」と言った。「気難しくて、手がかかるよーなものが?」と聞くと、「気難しくて手がかかるっていうのは、誠実ってことなんだよ」とにこにこしている。誠実。「誠実さっていうのは才能さ」と、デンさんに言われる。明らかに、まっすぐに、僕の心に入ってくる言葉。おろおろしてしまった。デンさん、まだ冬じゃないけど、プランターをたくさん買おうぜ。1年目の蕾は、ちゃんと剪定しよう。お金がかかるけど、肥料をきちんとやろう。僕とデンさんと、そして父さんのベランダを、バラでいっぱいにしたい。そして寝転がって、一階の雑草を見下ろし、しめ縄を新調した木を眺めて、目を閉じよう。僕は、僕たちのベランダのために、勉強して、働いて、汗を流したかったのだと気付いた。僕を「丈夫」にしてくれた二人の男達のために、とびきり綺麗なピンクと白とミックスのバラを育てて、コーヒーを飲むのだ。デンさんの首筋には汗が、僕の目には涙が溜まって、自分自身を肯定するまっすぐな気持ちが育まれはじめていた。
(2018.08 「便箋BL」)

floor

フロア

 

「変な名前」
花男は12年もののリベットをロックであおって、「ユカ」という名前の僕にそう言った。ウイスキーをそんなに水みたいにゴクゴク飲む人間をはじめて見た。靴で足元をコツコツしながら、「床じゃん、床」と、笑う。長い足のやつはすごい。君に言われたくないよ、と返しながら、僕はマカダミアンナッツを頬張った。

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花男。はなお、と読むらしい。冴えないポロシャツにスーツのズボンを履いたマーケッターの僕と彼とはつい2時間前に300人は余裕で収容できるハコの男性オンリーのSMショーで出会った。花男は、ジャーナルスタンダードのデカめのシャツをさらりと着こなし、美しく磨かれたビルケンシュトックの黒のローファー、そしてパジャマのようなストライプ柄のズボンを履き、丸い色つきメガネをかけた180cmの色男だ。同じ32歳だそうで、リーマンだというが、荷物はどうしたんだと聞くと、近くに住んでいるから置いてきた、普段はスーツなんだけどね、と斜め8度首を傾けてはにかむ。ついスーツ姿を想像してしまった、かっこいい。待て待て、ここは新宿のど真ん中だぞ、と、「近いところ」に住んでいるという花男の豪勢な暮らしぶりにたじろぎつつ、しかし、そのなんとも言えない色気に誘われて、つい、ほいほいとウイスキーバーにまでついてきてしまった。僕はバイだが、どちらかというと憧れがありつつも、うまく人と付き合えた試しがなく、気後れしてしまうのだった。

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「名前にさ、負けてるじゃん」
負けてるじゃん、名前に、と同じことをもう一度続けられて、僕はむっとした。どういう意味だよと聞くと、「結ぶ、花、なんでしょ。まだ、結べてないでしょ」と、自分がゲイとして誰かと関係性が結べてたことがないことを見抜かれる。「いい香りなのにね」と、うなじを嗅がれる。ちょっと!と、席を立とうとすると、ニヤニヤ笑って、「安心してよ、ここそういう場所じゃないから、それ以上近づかないんだ」と、急に紳士ぶる。「まあでも補填しあおう」と、今度は花男がマカダミアンナッツをくるみ割り機のようなおもちゃで割り、神妙な顔をした。足りないものはいっぱいあるからさ、と。「花を結ぶやつに結ばれる男が俺だろうし」と、僕が場慣れしていたら、甘ったるさに吐きそうになって帰るだろうようなセリフを吐く。だけど情けないことに、僕はウブだった。それに、慣れないリベットを3倍も飲んでいた。ショーを見に行っている時は水で薄まったサワーばかり頼んでいたが、ウイスキーはきちんとしたところで飲むとこんなにすっきりして美味しいのか。花男は、数秒毎に新しい世界に連れて行ってくれるように感じた。けれど、それは花男にとってはありきたりで、つまらないことなんだろう。息をするようにモテる男、それが彼なんだろう。まさに花がある男、名付け親は彼の未来をぴたりとあてていたのだ。

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「名付け親は父親」
と、彼がキッチンで言った。僕たちは彼のタバコ臭いキッチンに並んでいた。歯だけ磨かせて…と、どうにも気を張り詰めすぎてしまった僕は、彼にキッチンを使うように促された。「母親が、はなおって名前でいじめられたらどうすんだって言ったらしいけど、子供はどんな平凡な名前つけてもからかう理由を見つける天才なわけだし、花のある人生を送る男っていう真っ直ぐな名前を、親はつけたかったみたいよ」そうですか…、と、突然敬語になる僕に、花男はぶっと吹き出す。汚い!というと、ぶっ、とオナラをする。ひどい…こっちは覚悟を決めてきているというのに…。壁に貼ってある世界地図が気になって眺めていると、「そのピン刺してあるとこが行ったことあるとこ」と言われる。グローバルエリートかぁ…と感心して、どこが良かった?と聞こうとして、少し穿った質問をしたくなってしまい、どこが嫌だった?と聞いた。「カンボジア」と言われたのが、意外だった。「正確には、カンボジア行って、何もできなかった自分」…カンボジアに行って、物乞いと会って何もできなくて、そのあと、収入の1パーセントを毎月寄付するように団体と契約したら、特典で子供達から手紙をもらうようになったという。ベッドの上で僕の髪をぐしゃぐしゃとなでながら、うさぎマークがどうどうと入ったチャリティーのダサいピンクのTシャツを着た花男が僕をぐーっと抱きしめる。「それで、手紙はすごくこだわったものから、おいおい手抜きだろ~って感じのまであってさ、溜まっていくんだけど…、そうやって、クオリティにケチつけ始める自分がいてさ、そういう風に、金払ってるんだから、なるべくすごい手紙が欲しいみたいに思い始める自分が…情けないし」と言いながら、素早くティッシュの脇の小袋を掴む。あ~~~、コンドームや~~と、冷静に思いながらも、花男のTシャツを掴む僕がいた。そして、告白した。その、Tシャツのうさぎ、僕が描いた、と。すんすん、とにおいを嗅いでいた君がビクッとして固まった。僕は、ちょっと整理しながら言った。そのTシャツは、施設に募金してくれた人に送ったもの、僕は施設にいて、年に一度Tシャツの絵を描いた。それで、僕は募金してくれた人に手紙を書いたことはないけど、まあ、おんなじようなものだと思う、と。君は、施設に募金してくれたのだろう。それで、僕なりの見解を話した。僕が手紙を書くなら、受け取り手が、まあ、そうやって情けない気持ちになられた方がいいかな…、と、遠慮がちに言った。驚いて目を見開いた君が、「なんで」と、今までのモテテクの流れ総無視して真面目に聞いてくる。だって、偽善じゃないって思いながら募金して、でも、偽善かもしれないよなって逡巡してる人の方が、信じられるよ、人の優しさは、もとから決まっているものなんじゃなくて、人に優しくしてみて、その時に動いてしまう心の動きで、育てられていくものなんだと思うから。君は、僕に偽善の気持ちで誘ったの?そういう気持ちも少しあるなら、嬉しい。僕は、そういう君の後ろめたさだって利用したいくらい、君のことかっこいいって思ってついてきちゃったからさ。なんと、僕から、キスをした。テクなんてわからない。迫りすぎて、君はベッドから落ちて床に転がった。「床が冷たい」という君。可愛い。戸惑う君でいてほしい。僕だって、明日にはたぶん違う人だ。人間には、そうやって、豹変する自由がある。名前に勝ったかな?と言いながら、床で君に覆いかぶさってキスすると、ユカにはさまれたよ、と言いながら、君が太ももを触ってくれる。芳しい。

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当たり前だけど、僕に足りないものを君が埋めてくれるように世の中がうまくできているようには思わない。だけど、君が僕の美味しいところを食べて、まさにこれが自分が欲しかったものだ、と思わせるのが、マーケティングなんだよ、と、グローバルエリートの君を上目遣いに見ながら思う。今までほしいと思ったこともないものでも、目の前につきつけられて、どうしてもほしいと思わせたなら、それは最初から決まっていたピースじゃなくったって、相手は欲しがる。まるでこれがなかったら何もできないといったように。僕は、君にとってそういう存在になってしまうだろうということが予知のようにわかった。君はたぶん、一夜、遊んだり、あるいは、経験のない僕をかわいそうだと思って、部屋に連れて行って添い寝できれば上出来で、いい思い出を作ってあげようとでもいう偽善だったかもしれないけど。ちなみに、僕の話したこと本当だと思う?と、ちょっと笑いながら聞いた。「うっそ…」と、君が青ざめる。本当だよ、君をちょっと違った君にするのが、僕の役目さ。

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たぶん、僕がうまく君を誘惑できたと思った部分は、まったく君には届いていないだろう。そして、君が僕に使ったテクも、僕にはほとんど効いていない。人は、自分が相手を落とせたと思っている魅力以外のところでこぼれ落ちた香りを捕まえて、人を好きになるのだろう。僕は君と始まるたどたどしい関係を予感して、でも、明日には会えなくてもいいという刹那的な気持ちになりながら、やっぱり花を結ぶのが僕の役目だったな、と、名前の不思議な役割に思いをはせる。

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なんたって、フローリングに寝そべる君は花のように良かったのだから。

 

(初出:2017.08 「便箋BL」)

horse

鈴は東京農大のニ年生で、馬の直腸検査をしていた。
蛙の解体にもびくともしない子供だったが、ふと、ご当地キャラクターのぐんまちゃんのクッキーを見て「こわい」と思ってしまい、以降拒食気味の日が続いたことがあった。一週間後にはけろりとしていたが、生物の授業を愛する一方で、動物を食べることへの小さな嫌悪感がぬぐえなかった。結局農大に入って胎盤研究のゼミに入るために課外活動をしているわけだが、最近はまた拒食気味になってきていた。

鈴は馬の直腸をぐにぐにと揉みながら、ふと、馬に私がコントロールされてるみたいだな、と思った。ふふふ、と笑うと、馬が、「そう」というのが、聞こえてしまった。驚いて危うく手を引っ込めそうになったが、急に引き抜いては後ろ足に蹴られる。直腸を通じて、馬が語りかけてきているようだった。「動くとぶつわよ」馬は鈴に言った。むしろぶたれたいような気持ちだった。

続く。

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