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日記

◇手紙とお礼

手紙でお礼を述べる時、だいたい感謝には定型があって、

序文と末文で囲って事前に作っておくと、本当に感謝した内容について

じっくりと書けて大好き。

 

ペンを持っている手が、伝えたいことを真ん中で書いて、それ以外の飾りを広げていく手順を観察すると、手のひらが花開いていくみたいだと思う。(フリック入力とキーボード入力についてもそれが言えて、フリックだと小さな思いつきを開かせるイメージだし、もっと書きたいと思ったら手のひら全部使うキーボードを使う。)

 

◇毒山さんの展示を見る前にメモ

私はふつうに生きていたら、マスコミのことをマスゴミという人間だったと思うけど、ジャーナリズムを魂にしている夫と結婚して、そういう風に思えなくなってしまった。

見る前にこういうことを言うのはどうかと思うけど、見た後に気持ちも変わると思うから、毒山凡太郎さんの慰安婦へのインタビューの作品を見る前に書いておこうと思う。過去の体験を、相手が拒否するのにも関わらず聞くような姿勢は、私にとっては腹がたつし関らないで欲しい。だが、夫に言わせれば、ジャーナリズムはいつも「踏み込む」。

人は初めて会った人に心を開くのに時間がかかる。だから、最初に会った人から、「核心」をすくい上げるには、ギョッとするようなことを聞くのだと。

ジャーナリズムとして、全員が傷つき、すくい上げるべき光る物が取り上げられれば万歳だが、ジャーナリズムもどきの、相手に聞く姿勢そのものを「丁寧っぽく」見せるアート作品はたくさん見てきた。そういう作品は、ジャーナリズムとしては価値がゼロだし、アート作品としては愛がない。

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