Role Exchange-Marina Abramovich

Role Exchange (1975) – Marina Abramovich

公式の訳じゃないのですがささっと訳してみたのでよかったらどうぞ。

役割を交換する。
ユーゴスラビアの”ボディアート”パフォーマンスアーティスト、マリーナ・アブラモビッチ(グランドマザーたちのパフォーマンスアートで知られている)は、アムステルダムのレッドライト地区で一晩、一人の売春婦と立場を交換してお互いの仕事をした。マリーナはその売春婦と友達になって仲良くなり、匿名のままという条件付きで芸術作品に参加することに合意した。マリーナが娼婦の窓空間に立っただけではなく、同時に娼婦が展覧会のオープニングに参加もして、二人の女性は両方ともお互いの役割を演じたのだった。

アンナ・ナバコフがWomans Art Journalに2003年に記事に書いた1975年のマリーナ・アブラモビッチのパフォーマンスに触れてみよう。

「アブラモヴィッチによると、役割交換は数百人の人々に送られた標準的なギャラリー招待状で宣伝されました。展覧会は多くの聴衆を惹き付け、ギャラリー内と売春宿の窓の外で撮影された白黒のスチール写真で記録が取られました。ギャラリーでは直接的に参加した聴衆はいませんでしたが、売春宿には通りからやってきた男性の訪問者が三人いました。一人は酔っぱらっていてすぐに立ち去り、一人は料金を払おうとせず、三人目はその窓で働いているいつもの娼婦じゃないと嫌だったということでした」(Eメール交換、2002年11月)。展示はメディアで広く取り上げられた。役割交換のドキュメンタリーと他の多くの初期パフォーマンス作品が、額に入った写真と文章の形で1990年半ばに展示された。役割交換の写真はウライ(売春宿の前で)とディアペル・ギャラリーのスタッフ(ギャラリーの前で)が撮影した。

「私はユーゴスラビアに住んでいて、ボディアートというプロジェクトのためのパフォーマンスを行って欲しいと招待されていました。アムステルダムに行ったのも、レッドライト地区を見たのもそれが初めてでした。とても驚きました。特に共産主義/社会主義の国から来て私のようなバックグラウンドがあればね。私の母は軍の少佐でした。父は私が17歳の時に去ってしまいました。母は子供たち(マリーナと弟)を完全に一人で育てなければなりませんでした。母はとても厳しくて、いつもモラルについて語っていました。何が正しくて何が間違ってるって」。

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