弓指くんのオンサンデーズの展示関連トークを聞きに行った。
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…on Sundays (ワタリウム美術館のmuseum shop)
8月14日(日) 20:00~22:00
弓指寛治 個展「Sur-Vive!」開催記念トークイベント
「〈救済〉なき時代のアートをめぐって」
出演:堀浩哉(美術家)+黒瀬陽平(本展キュレーター)
(ウェブサイトより)
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先日から黒瀬さんが言っている、「学校がカウンセリング施設になってしまうこと」とアーティスト(生徒でアーティストになっていく人たち)のありかたについて含めて「今の時代の救済」についてを話していた。堀先生の頃だったら明確に「ゲリラ」という意識を持てるけど、社会がほぼ「救済なき」状態に入ってしまって、「ケア」「シェルター」を用意しないとシェルター(恐らく学校のこと)をでたとたん蒸発してしまうようになってしまった。≪すり抜けて生きていく力≫などもアーティストにとって必要なのだ。アートを見ることによって救われるのは鑑賞者で、「見せる」ことによっては、アーティストは救われるどころか勘違いをされたり一切受け入れられなかったりすることを感じてしまう。しかし、アートはそれでいい。誰かを救う。けれど、続けるには、伝わっていないという現実や規制をどうにかして「すり抜ける」必要もある。
だけど、今の時代、弓指くんのように(それに彼がなっとくしてるかは謎だが)タフで、鈍感で、それでいいつ制作しないと行けない。
だから、自身を弱者に設定していたらだめで、『難民』というようなありかたがいいんじゃないかと。
黒瀬さんの口から、「アーティストのありかたとして、難民があてはまるのでは」と聞いたのは2回目だが、難民という言葉のイメージがさいしょ聞いたときと少し変わった。ただ待つだけじゃなくて自分からなにか作ってしまおうとしている感じ。ちなみに日本では、母国から政治的宗教的な理由などで明らかに迫害を受けていないと難民というカテゴリーに入らない。
最後に来場者のかたがいい提案をしていたんだけど、「難民じゃなくて越境者はどうか」と。
でも、黒瀬さんはそんなにはポジティブになれない、正直な態度だと・・・、という感じ。
私は、「誰かが救ってくれる」と思っていると、自身が弱者から逃げられないので、ずっとひ保護者でいたいとは思わない。
けれど、タイミングで、自分自身の能力を隅々までのびのびと使いたいという欲望があるので、それにあう学校なり制度なりにのるのは、私としてはオッケーだ。
弓指くんの展示は21日まで。