
オンライン読書会(本:『書くことの不純』)
オンライン読書会(読まなくても参加可能)のお誘いです。2024/4/14(日)15時からオンライン読書会(お茶会🧉)をやりますのでお知らせさせてください。 読む本は角幡唯介さんの『書くことの不純』です。
読む本:角幡唯介『書くことの不純』

当日の流れ
- 自己紹介
- 書評を読む
- はじめにと目次などの構成紹介
- 結論の確認
- 話し手感想
- (10分休憩)
- 行為、内在、純粋の広辞苑的意味
- 美術表現は行為そのものだと思っていた(えっ?と思ったこと)
- 美に達する術としての行為と自己理解・自己表現
「ただ行為する」行為と「こう見られたい」を含む表現「表現」を分解する最近見(れ)た作品に照らし合わせて(内在へと)(追加で、美術館の赤ちゃん事情についても関係ないですが触れられたらと。)
参加方法
【リンク】に記載されているzoomリンクをクリックし、参加してください。途中で休憩を挟むので、①-1が終わったら①-2のリンクに移動してください。ミュート・顔出し無しOKです。また、Youtubeに動画をアップロードする可能性があります。
人数確認のため、メールやコンタクトフォーム( http://contact.kintominami.com/ )、Instagram DMに、「オンライン読書会参加希望」とメッセージをお送りいただけると助かります。事前にメッセージがなくても、zoomリンクをクリックし、参加可能です。
【日時】
2024/4/14(日)
9時〜10時(9時半に5分休憩)
15時〜16時(15時半に5分休憩)
※子どもが熱が出たらお休みになります。ごめんなさい
【リンク】
①-1
金藤 みなみ さんがあなたをスケジュール済みの Zoom ミーティングに招待しています。
トピック: 金藤みなみのオンライン読書会①-1
時刻: 2024年4月14日 09:00 AM 大阪、札幌、東京
~~参加 Zoom ミーティング
https://us04web.zoom.us/j/78676546487?pwd=1XyUdEauHc9YVFwHURAaA1YvbsJWiu.1~~
ミーティング ID: 786 7654 6487
パスコード: 3JgKkz
①-2
金藤 みなみ さんがあなたをスケジュール済みの Zoom ミーティングに招待しています。
トピック: 金藤みなみのオンライン読書会①-24
時刻: 2024年月14日 09:30 AM 大阪、札幌、東京
~~参加 Zoom ミーティング
https://us04web.zoom.us/j/75899929103?pwd=SDbQyeuG8Y5FsaCTC2TgkQETIUTNyW.1~~
ミーティング ID: 758 9992 9103
パスコード: FABU9Z
15時からの回こちらです
②-1
金藤 みなみ さんがあなたをスケジュール済みの Zoom ミーティングに招待しています。
トピック: 金藤みなみのオンライン読書会②-1
時刻: 2024年4月14日 03:00 PM 大阪、札幌、東京
参加 Zoom ミーティング
https://us04web.zoom.us/j/77732649600?pwd=cIVsa539Edwf8Zc7BY1tOlAZG17PYO.1
ミーティング ID: 777 3264 9600
パスコード: 0b0c8P
②-2
金藤 みなみ さんがあなたをスケジュール済みの Zoom ミーティングに招待しています。
トピック: 金藤みなみのオンライン読書会②-2
時刻: 2024年4月14日 03:30 PM 大阪、札幌、東京
参加 Zoom ミーティング
https://us04web.zoom.us/j/74768240976?pwd=5C1PG92kKlRYctPr43YNbolMUta9ac.1
ミーティング ID: 747 6824 0976
パスコード: F8d2j1
話し手
金藤みなみ
作家紹介文
1988年徳島県生まれ。演劇からキャリアをスタートし、絵画/刺繍/パフォーマンス/zineを発表している。女子美術大学芸術学部絵画学科(洋画)卒業、多摩美術大学大学院美術研究科博士課程前期修了、ゲンロンカオス*ラウンジ新芸術校第二期上級コース修了。
主なグループ展に、「VOCA展2023 現代美術の展望─新しい平面の作家たち─」上野の森美術館(東京都、2023年)、「芸術の四国遍路展」巡回展・徳島市立徳島城博物館(徳島県)等(2022年)がある。
読売新聞書評
書く、表現するということは、もはやすべての人に開けていると言っていいはずだ。(宮内悠介)
↑締め部分の言葉
東京新聞書評
<書評>『書くことの不純』角幡唯介(かくはた・ゆうすけ)著:東京新聞 TOKYO Web
著者について
1976年、北海道芦別市生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。
同大探検部OB。
✍めも
- p.41 行為は純粋で、表現は不純であるーー。(第1章)
- p.42 書くために探検をしているわけではない
3.逡巡しながら、話が進められる。
断じて書くために探検しているわけではないが、しかし、それも怪しい…と、自分で思う筆者。
- 私の感想…
「えっ、表現って行為のことじゃないの?」
- 私のパフォーマンスは誰も見ていなくても行おう、と、銀座でやっていた時〜秋田で行った時から考え始めた
6.繰り返しただ行われ、始まり、終わる演劇的だけど、生き物的でもある作品。行為がパフォーマンスで、誰にも見られないという意味では、この本の行為的でもある。
-
p.16 風潮という外からの圧力(こう思われたい的なものが表現だとしたら、それはSNS的な感じがする。こう思われたいという視点で作ること)(外部の論理)(関係の視点)そして、役に立たなければならないと感じるなら、外圧の内面化(内面化とは筆者は言っていない)。エピソードなしの外圧の内面化は薄気味悪い。
-
書き手としての私と行為者としての私。
-
観点が違うが同時に存在している。



表現とは「心的状態・過程または性格・志向・意味など総じて内面的・精神的・主体的なものを,外面的・感性的形象として表すこと。また,この客観的・感性的形象そのもの,すなわち表情・身振り・動作・言語・作品など。表出」
とある。(新しくつくるというより、伝えることに重きが置かれている、置き換えるとも言えてしまう)
対して創造は,「①新たに造るこ
と。新しいものを造りはじめること。②神が
宇宙を造ること」(縣 拓充『「表現」と「創造」それぞれの本来的意味と差異』)
行為と表現が整理、振り分けされていく
行為とされるもの
行為とは…
p.48
私にとって納得するまでやらなければ人生が前に進まない宿痾のようなものになっていた。
→序論で言うところの内在 に突き動かされるもの
(広7 ながい間なおらない病気)
表現とされるもの
表現とは…
探検が終わったらそれを作品化しようとも考えていたのである。
↑書き手としての自分
(複層的視点)→複層的視点の煩わしさ(p.50)
行為者の観点から
表現の方から聞こえてくる呼び声が気持ち悪い
筆者はひたすらに、純粋な状態を求めている
- 美術表現は行為そのものだと思っていた(えっ?と思ったこと)
→作家としては、私は行為イコール表現だと思っており、伝えることそのものも入った行為が表現だと思っている。(いた)
よって、ひたすらに行為の純粋性を求め、表現側が介入してくるという構図に新鮮さと潔さを感じる。
それこそ、行為に没入することを肯定してくれるようでありがたい。(しかし批評性を失う?)
ここで言う表現とは、美術作家においては、例えば伝えることがどのような感想を持たれるだろうかだったり、どんな作家像として鑑賞者に受け入れられるだろうかとかいう部分に感じる。特に伝えることがさまざまなSNSに分散してしまっている今、感情が効率化(社会の役に立ちますか?)と分離に巻き込まれているのではないか?
p.49 書き手の声→
この呼び声は不純だ。
→あまりに行為の純粋性にまっすぐだと思う。厳しいというか。
余計な視点が判断にまじりこみ、…ではない
行為そのものが粉飾されたり編集されたりする可能性が生まれるためである。
→ヤラセをひきおこす可能性が常にある。
↑(もしや、筆者はヤラセが好きではないのでは?これは、作家といわれるひと全体に見られる傾向に思う)
不純…欺瞞…というよりは、資本主義的な書き手であるということに操られて行為に向かいたくないというような、うことへの違和感作家純粋論っぽく感じる。
書くことの矛盾というか。
探検したいということそのものが、資本主義的な都合に紐づけられたくないということなのか?
エンターテイメントになることに紐づけられたくないということなのだろうか。
目次
【目次】
序 論 探検って社会の役に立ちますか?
第一部 行為と表現
第一章 書くことの不純
第二章 羽生の純粋と栗城の不純
第三章 冒険芸術論
第二部 三島由紀夫の行為論
第四章 届かないものについて
第五章 世界を変えるのは認識か行為か
第六章 実在の精髄
第七章 年齢と永遠の美
あとがき あらためて書くことについて
⇨SNSでバズるところから始まるんだけど、それがとても大切だったのかも(序論)
p.44
旅をして大きな経験をしたり、何かを発見できたら、それを誰かに伝えたいと思うのは、ある意味自然だ。
→あとがき(行為にたいする表現の立ち位置 244)
99 芸術的な行動と非芸術的行動の境界
(美に到達する)
105
極地法 ロジティクス
征服事業←→芸術作品
109 成功とか失敗という観点は、こうした前例のない登山を前にすると、議論の前提としてはあまりにも表面的すぎるとも感じる
115 山ではなく下界たる俗世間そのもの
↑山←→俗世間そのもの
行為に山がたちあらわれる←→行為に山が押しつぶされる(到達至上主義・均質・征服)
116 他者が鑑賞できない芸術
到達至上主義←→121 組み込まれる(本質を表す)(土地に寄り添う・〈調和〉←?!)
世界を均質に見る、計画(123)←→狩猟などを前提にした旅、変化に富む、現場の出来事(123)
133
年齢論 43歳で死ななかった
138 全消尽ポイント(ぜんしょうじんぽいんと)
(使い切ること)
145 彼らの人生や悲壮な記録には心胆を寒から(しんたんをさむから)しめる不気味さがある。
↑
(他人から見て・・である。なので、他人から見てこう思わせよう、自分が不気味な人間に見せようという行動原理であれば、死ぬことだけを待つ間、自分を救ってはくれないだろう。だから、内在に従っていれば、もしかしたらそこに救いがあるかもしれない。やりきった、生ききったという。他人にあの人は成功したとか思われせるための行動は、救ってくれない)
158
言葉と経験の乖離から生じるもの→経験する前に鋭い感受性・言葉の力で内容が想像できてしまう
159
三島(孫引き)
肉体が訪れたが、その肉体は云うまでもなく、すでに言葉に蝕まれていた。
→さすがに現代人の「答え合わせ」感覚とは違うのでは?(検索してレビュー見て予知できるのと、既に知っていた感受性は違うんじゃないか)
169
佐々木言葉をたくみに操る悪魔的
魔力
177
?
ニヒリズム解消
内翻足が意味的世界からはみだしているからだ→認識や意味の世界でとらえきれない、こうした余分なモノ(内翻足=純粋さ(根底には無意味さ
ばらばらで位置や法則性を欠いた小さな体験)→生きるための条件)
208
実在の精髄
→成田成哲(ナリタナリアキ)(筋肉島(マッスルアイランド))さんや、渡辺航(ワタナベワタル)(弱虫ペダル)さん
金閣寺
p.5
例え雲ひとつないように見える快晴 一日に四五へんも時雨
変わりやすい心情は、この土地で養われたものではないかと
p.7
しかし待っていてくれる現実はもう新鮮な現実ではない
瞬間に変色し、ずれてしまった、・・・・・・そうしてそれだけが私にふさわしく思われる、
メモ2📝
美術という術
メモ3
Design Book Clubにて、デザイナーaiさんの感想
加藤典洋『日本人の自画像』
三島由紀夫『太陽と鉄』『金閣寺』
