serrata20170318

8日目 「集団にとって作品とは何か」に参加し、メモをしたものをまとめたノートです。
https://www.kishiidaisuke.com/serrata2017
https://www.facebook.com/events/1889446057952803/

◇個人とは
個人の反対は、肉体の塊

◇芸術作品として設立すること
芸術作品として設立し、自らを組織する…作品化するということは、政党と変わりがない
人を陶酔させるのだから、政党

◇現代思想がテーマにしているもの
[ナチズムへの反抗]という哲学的な問題がある
現代思想はナチスについて考えていた。フランス人が考えていた。
ファシズムにならないためにどうするかということ。

ベトナムのコーヒーめちゃうまい。
未来派のセラータ

◇作品になるが、ファシズムになってしまう可能性もはらむもの
作品としての共同体
生産する共同体

◇無為な共同体について
バタイユ inoperative
無為な共同体
コミュニティは有用じゃない、ファシズムにならないためには有用であってはならない
国が有用だとまずい(国が作品化することに抵抗する…レジスタンス)
同一化しやすいので、権威に気付けない恐れがある
いつの間にか、無為な人々はテクネー(技術ないしはアート)に回収されていく
国が作品になってしまうと何がまずいのか。そもそも、「人間」を規定することそのものが
ファンタジーであり、作られたものなのだけど、人権を規定すると、そのルールから
あぶれたものは「人間」ではないとされ、「人権」もはく奪されるから。

◇「人間」というフィクション
理解を促進するために岸井さんが「人間」「人権」をフィクションだと仮定した。
「人間」を規定するときに、「こういう人が人間」としてしまうと、
あぶれた人は「人間」ではないので、人権がなくなる。
「人間」も「人権」も、コミュニティが規定してしまうことの恐ろしさは、
移民を排除してしまうところにある
内在主義- ナンシー 「これが同一民族ですよ」と考えると、他の人は拷問をしてもいいことになる
他者と超越- レヴィナス
「人間」を問うことは、内在主義について問い始めることである

―一幕終了―

◇戯曲の再演について
俳優がぐちゃぐちゃにするのが戯曲
良い戯曲は人がぐちゃぐちゃにしたくなるようなもの
作品はゲシュテル、共同体は上演中

◆気になって質問できなかったこと
ワークには縁取りがあるby 柿並良佑さん

◇コミュニティの問題
「あの頃はよかった」とか言う。ノスタルジー
悟性を持たないといけない
共感という不気味な名誉

◇フォルムと鳥居
鳥居マークは立ち小便を禁止する
フォルムが出現するということは、人為的なものである

◇作品とは
作品とは見いだされたものから取りこぼされたもの

◇狂人としての芸術家
フーコー
狂人は作品を成しえない
本当の狂人には作品を作れない
狂気は沈黙の中に息づく

◇盗人としてのジュネ
屹立するものに対する落下するもの

◇「レジスタンス」し続けることのつらさ
無為な人々、愚かな人々が集団にいることによって、
ファシズムにならないのだが、集団の作品化に
常に抵抗することは、人間の精神を摩耗する。
よって、無為な人々は無為ではなくなり、
ワークを始めてしまう。だらだらした半年のあと、バイトをしてしまう。
主体をワークに返してしまう。

◇孤独と超越
孤独になると、他者と対話しないかわりに内なる声と会話し始める。この声を超越した声=神の声と規定してしまうと、シャーマンになってしまう。作品はシャーマンでは作られない。
ファシズムにならず、かつ、シャーマンにもならない中間にいないといけない。
キリスト教の中にはシャーマン的なものはない
かつて、キリスト教で、「理性は神に与えられたものであり、有用に使えばいける!」と思われていたが、結局今はその前提が崩れてしまっている

◇オートポイエーシス
オートポイエーシスは、移民・外部を生み出している

◇内在主義の成れの果て
内在主義の最後は集団の自殺
自己はどんどん他者になっている
我々は外にしかない(粘膜はあちこちにあり、外部と接している)

◇他者創発
他者創発はあたりまえ、ナンシーならそういうだろう。

◇ウーブル
ウーブルはwork。営みであり、作品。

◇コープス
他者に対して腰がひける状態。気味が悪い。腰がひけるということは空間が生まれる。
ルトレ…引き出す、身を引く

◇美術教育としての集団
人間っていうのはフィクションなのに、集団の中でアーティストが教育されるということ自体
フィクション。

◇自転車操業
提示された理論を覆していく自転車操業を繰り返しても仕方ない。

◇作品を作品だと気づいていないほうがよい(仮定)
クラスタ的に集まってきた人々が無為にぶつぶつとつぶやいているものが作品ではないだろうか。

◇大地
足元にあるものは、実在しているので、確からしく感じるが、
大地はよそから忍び込んで生きているのだ。大地というとポエティックに聞こえるけど。

◇壊すことができるものだけが作品である(仮定)
共同体は内破するもの。しかし、常に抵抗するのは疲れてしまう。
無為なものたちが内破するものを作品と規定する。
→いや、それではナチスこそが無為なものたちが破壊しているので、ファシズムを肯定してしまう

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