lemon

「サヨナラのある関係」

「サヨナラ」って言われる数時間前に、檸檬がケーキを焼いていた。わー、美味しそうと私が言うと、タイルがプリントされた大判の紙を取り出して、iPhoneで様々に撮っていた。

「ライティングのじゃま」と檸檬に言われて、私の持ち物は全て床に降ろされていた。ああ、可愛い。

人は欲張りだな、と思う。いや、わたしが欲張りなだけか。檸檬と過ごすこの時間が手に入れられて嬉しいのに、あったかもしれない「ともだちとの花火」に誘われなくて、こんなにも嫌な気持ちになっている。誘われなくてというよりも、誘われる候補に入っていなかっただけで、我々は、言わなかっただけで、サヨナラを言っていたのだろう。サヨナラを言えるなら良い別れで、SNSがあることで私生活が剥き出しになって、別に必要じゃなかった『幸せらしきもの』に嫉妬しなくてすむのに。

檸檬は、そう言う気分になっても良いじゃんという。
慰めてくれているのはわかるけど、嫉妬なんて良くないよと返す。

『私さ、インスタで良いね付けるんだけどさ、この良いねって、例えば『とても白い』とか、『お皿が丸くて、枠線の外側への意識があって、色を3つに抑えられている』とかいう、そういうものにつけていく作業なんだよね。もう、フィードもほとんど読んでないし、ストーリーは見てて楽しいけど、渾身の一枚見ても、作業でわけていくし、写真の中の世界にあこがれることないよ。」といって、ふう、と息をついた。

親友とか、ずっと仲がいいもの、という関係のひとがいなくて、私は残念だったけど、どうしても恋愛に発展してしまう私に、このひとを呼び寄せる力があってよかった。

良いなって思えるものが、作業になってしまうような境地で、でも、仕事というよりも、やっていたい、続けることによる肯定で、彼女は彼女自身を自立させていた。

依存されるのはいい、でも、依存は自立があるからこそのものだった。

私は彼女の人生を通しで見たことがないけど、通しでみて、私との関係があったことを、喜んでくれるだろうか。

マレーシアに行く準備でダンボール3つに自分の持ち物全てを詰め込んで宅配してしまった彼女に、フィンランドじゃなくていいの?ときく。

「私のイメージ固定しないでよ」と、檸檬が笑って、こう続ける。

「ひとはさ、人の人生を、何か全体で見ようとして、あのひとは良い人生だった、このひとはどうだったっていうけどさ。幸せより幸運のほうがいいじゃん。全体で幸せより、あっラッキーみたいのと、サヨナラってのを、潔く、書き連ねていくわけよ」

檸檬は本当に所有物が可愛いけど、旅というか移住というか、持ち物が極端に少なくて、たくさんの可愛いものを、全部メルカリで売ってしまった。私の家に彼女の持ち物は何もなくなってしまった。

比べて私は、社会の衰退や職場のマナーに悪態をついてばかりの日々で、檸檬が、あはは何それ~、サヨナラのない関係性続けるなんて不思議~と、iPhoneから写真や音楽を軽やかに削除しながら笑う。檸檬の本名なんて知らない。だけど、彼女はインターネットではずっと lemon で通していて、代官山に持っているオフィスに全ての郵便物が届くようにしていて、私みたいに気が合う人が見つかると、もちろん色々な相性はあるとは思うが…子猫のようにするりと、生活のなかに滑り込んでしまうのだった。最初に檸檬に言われたのは、「6ヶ月だけだと思う」ということだった。何が?みたいに、とぼけて答えてみたかったけど、あの美しい瞳に見つめられてすっかり参ってしまって、ハーゲンダッツの桃味を贅沢に食べながら、私の狭いシングルベットに檸檬も一緒に収まり、溶け合った。

じゃあ、ちょっと一ヶ月はやくなったけど…と言いながら、檸檬は玄関に食卓に飾っていた鮮やかな花たちを輪ゴムで止めてスワッグにしてくれた。そして、逆さまにして天井から吊るした。なんでなんで、と言って、駄々をこねてみたかった。だけど、彼女のポリシーがあってこその彼女の自由を、私は尊重したかった。もう心はずたぼろだった。檸檬がうちに来てから、タバコはベランダでしか吸えなくなったけど、代わりに部屋は水切り花に溢れ、良い香りにむせ返りそうだった。私はむわっと暑いベランダに出た。檸檬は、「どう思うの?」と聞いた。どう思うって、私がどう思うかってこと?と、バカみたいに聞き返した。私は、檸檬にそのままでいてほしくて、出発前に、喧嘩なんかしたくなくて、へらへら笑っていた。檸檬は「私はあんたと喧嘩したい」と言って、散らかったタバコのカスをサンダルでバシバシと蹴り飛ばした。檸檬らしくないなと思った。お土産よろしく〜なんて言いながら、檸檬ともう二度と会えなくなることをゆっくり受け止めようとしていた。現実には目の前に彼女がいるのに、タバコが嫌いな彼女がベランダに出て来ているということが、風景を幻みたいにしていた。颯爽と去って、またInstagramに美しい白い写真をアップして、私を泣かせて欲しい。ぐしゃぐしゃ泣いて鼻水たらして、檸檬に恋い焦がれていたい。だけど、泣いたのは檸檬のほうだった。いつも終わりを決めるのは、先に泣かなかった方だ。信じられないことに、私はうっかり彼女に勝ってしまった。かわいそうな彼女は、自分が泣いているということが悔しいのか、何度も舌打ちしながら、怒ったように押し黙っていた。彼女のような美しい人にとって、この世の中は無秩序でめっぽう汚い地獄のような場所だろう。もうバス行っちゃうよ、と言い、譲歩して、私の原チャの後ろに乗って行ったら暑いよ?、と問いかけたら、暑くていい…、と言われたので、私はTシャツに着替えてヘルメットを投げた。うちから銀座は案外近くて、銀座からのバスに乗れば成田に十分間に合う。Tシャツのせなかの部分がどんどん濡れて熱くなって言って、私はドギマギしながら、なんだかこれじゃ私が檸檬を振ったみたいだと思って解せなかった。私は檸檬を愛しているから、振られたって振ったってどっちでも良いんだけど、思いがけない引きずる失恋も、私たちの最後にはふさわしいかもしれないな、と思った。銀座のバス停にまもなく着くと言う時に、檸檬はやっぱり東京駅から行くと行った。東京駅も経由するバスなのだ。この酷暑に、勘弁してくれ!と私は実際に叫びながら、やっぱり彼女を東京駅に送り届けた。東京駅の丸の内側で、汗でべとべとの私から走って離れた彼女が、iPhoneで私の方を撮影し、戻って来た。「ありがと!ありがと!」と言って、すっかり元気になって私の手を握ってピョンピョン飛び跳ねたあと、手を振りながら、「じゃあね!」と行って、走って去って行った。眩しいくらいの笑顔だった。心も体も濡れぞうきんのようになった私は、かわいそうに、財布を忘れてきたので、カフェで物思いにふけることもできず、原チャで小さい公園まで走って、レモンのインスタをチェックした。原チャの私が映ってるんだろうかと思ってワクワクしていたら、なんと、見事に美しい東京駅だけが写っていて、私は影すら見つからなかった。あまりに鮮やかな色だった。なんだか一気に力が抜けて、これでこそ檸檬だぜ!と思って、私は笑ってしまった。旅に幸あれ、たくさんの幸運が、君に訪れますように。そういえば「最後はサヨナラって言って去るの!」と言っていたのに、言われ忘れていた。かといって、妙にひっぱるような「またね」じゃないだけ良かった。私は帰りに思いっきり泣きながら帰るか、と思って、「僕をだましてもいいけど」も「本当のことが見えているなら」も、すでにやってしまった思い出とともに走りながら、旅立つことを勇気を持って決めた彼女の為に、「サヨナラ!」と歌った。
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