【映画 Banksy does NY】私たちは出来すぎた「偶然の街」で踊る!

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覆面画家Banksy

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Banksy を知っているだろうか。

Londonを中心に活躍する覆面画家で、1人ともチームともいわれている。

その活動は壁へのグラフィティだけにとどまらず、該当ディスプレイ、美術館の中に無許可で展示するなど社会風刺的・芸術テロリズムともとれる作品が多い。この映画は、そんなバンク氏―のNYでの一か月にわたるstreet actionと、それらを取り巻くファン・住民・一攫千金を狙う泥棒・警察・メディアを大いに巻き込んだスリリングなドキュメンタリー、という風にしているが、その実、「かっこよさ」によって大衆向けの広告となってしまっている。
ミュージカルのように彼らの行動に大義名分をつけてしまっている様子は、本当に彼らがやりたい自由さとは遠く離れているように見えた。

マンハッタンを駆け巡る思惑

公式ウェブサイトより

2013年10月1日、バンクシーがニューヨークで展示をスタートさせた。 告知もなく突然始まったその展示は、毎日1点ニューヨーク各地の路上に作品を残し、場所を明かさず公式サイトに投稿。人々はその作品を求めてニューヨーク中を駆け回るという、ストリートとインターネット上の両方で勃発した「宝探し競争」だった。

映画『バンクシー・ダズ・ニューヨーク』公式サイト

マンハッタン独特の賑やかさ・商業主義・格差と性の匂いと、バンクシーの仕掛けた遊びの掛け合わせの面白さだけでなく、バーチャルな街の中に宝が毎日浮かび上がるのを見つけようと駆け巡る興奮を味わうことになるだろう。

以下ネタバレ

非常にアメリカンな作りで、ファンと批判者、ブローカーとディーラーと一攫千金を夢見る人々がうごめきながら作品の疾走感を形作っている。

ドイツなら扇動罪とかなんとか理由付けて捕まりそうだが、アメリカはあくまで現行犯逮捕(器物破損)にこだわるだろうから、警察に捕まってしまうのかそうでないのかという基準が明確で、見つかったらどうしようというスリルもある。

 

一攫千金をねらってゴミ山をスフィンクスを盗む自動車整備士たち

一番印象的だったのは、明らかにゴミの山にしか見えないスフィンクス。Banksyはフットワークの軽さや風刺の評価以上に、「Designとしてのかっこよさ」「ビジュアルの良さ」が、多くの人々を魅了している。しかし、スフィンクスははっきり言ってただ汚いコンクリートをかき集めただけにしか見えない。

しかし、ここマンハッタンの資本主義は、「自分にはクソ以下にしか見えないモノでも、オークションにかけて一攫千金をゲットできるなら、なんとかして手に入れたい!」と人に思わせる力がある。案の定、整備士たちは「自分には価値はわからないけど、身なりのいいやつらがやってきて写真を撮り始めたから、これは売れると思った!」という。彼らが商業施設建設の為に職をなくすというのも、この一攫千金ストーリーにお涙頂戴シーンを連想させる。しかし、そうはうまくいかない。

水はけが悪く、雨がふって何日も水たまりが渇かない中に汚く積まれたコンクリや石でできたスフィンクスをギャラリーと組んでアートフェアに出すものの、売れない。バンクシーを扱うギャラリーが、前のシーンで「ブローカーから入手している」「banksyの価値を上げているのは我々だ」「banksyは感謝しているだろう」と笑顔で語っているのもむなしい。このすべてが、広告につながっているということも。

 

露天販売 では60$、オークションなら25万$

面白かったアイディアのひとつに、人を雇って露天販売で小さなキャンバスにbanksyが描いたものを売った時。ぱっと見には、贋作を格安で売っているようにしか見えないわけだ。

買ったのは、半額に値切ったおばさんとおばあさんと、新築に飾る作品がほしいと思ってと言っていたお兄さんだけ。他は見向きもしない。このお兄さん、4枚も買っていた。推定100万$ゲットである。是非これからも自分の目を信じていきていってほしい。ちなみに、顔出ししてしまっていたので、おうちを泥棒に襲撃されないように、セキュリティには気を付けてほしい。

露天を店じまいしてからbanksyはこの情報をインターネットにアップした。多くの美術関係者が悔しがったという。

この場所は誰のもの

そして、貧困街にbanksyが描いたグラフィティを見に来た美術関係者から5$ずつとろうとする住民も面白かった。しかも払うひといるし。住民曰く、「おまえらはここにこの絵が無かったら来なかっただろう。」という。確かに、美術関係者はここに来ることはなかっただろう。貧困格差についても考えさせられるのである。

あ、あとArt オブザーバーがbanksy批判してたのも面白かったな。毎日現代美術批評のせてるのに。

本当の自由と踊り

このように、人々が毎日町中banksyの作品を探し回っている様子は演劇的だし、アーティストが持つ、ネガティブに見れば「banksyに踊らされている」し、ポジティブに見れば「アーティストの本質は人を熱中させて踊らせることだ」と思い起こさせてくれる。

日本でも、寺山修司が30時間市外劇「ノック」という劇を行ったことがある。

俳優が、劇を日常原則のなかに持ち込んでゆく「戸別訪問演劇」の形式、見知らぬ人から台詞が配達されて、そのト書き通りに行動してゆくと、いつのまにか新しい人間関係にまきこまれてしまう「書簡演劇」。ー「ノック」p82

寺山たちが一メートル四方一時間国家を作ったように、banksyは時間と場所を自由に練り上げ、我々を躍らせてくれたが、結局は大衆に巨大な広告を打って、彼ら自身の本当の自由・批評性をほったらかしにしているように見える。

彼らが、この映画とは遠く離れたところで、全く違った批評性をもったアクションを行うこと・我々が自由に気づき、踊り始めることが求められている。

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