みなみと遊女の本当の浄土 メモ書き1

ゲンロンカオス*ラウンジ新芸術校第二期生上級コース成果展出品
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2月24日(金)のイベントおよび2月25日・26日の五反田カオス*ラウンジアトリエでも販売します(現金のみ)。
「みなみと遊女の本当の浄土」
金藤みなみ
(作品の導入としてのメモ書き)
<1>使命
あまりにも多くの熱が失われてしまった。
目の前で情熱が失われていくにおいが街に立ち込める。これに苛つく。墓にも、碑にも、多大な情報が詰まっているのに、希少な話を残しておかないのはなぜだろう。そして、私が新宿を『知りたがる』のはなぜなんだろう。
わかるのは、一年前に引っ越してきた新宿は想像以上に薄ぺらく、非日常が引き延ばされたり折りたたまれたり、自在に取り扱われているということだ。そして、その折り目にはさまった寺の過去帳からは計り知れないような小さな<物語>が、今もなおとめどなく消えて言っていることだった。消えてほしくない。エゴのような、慈悲のような、どうしようもない気分が、使命が、少しずつみなみの胸を高まらせていた。
<2>金色
その朝、街は静かだった。
みなみは、11月にしては早すぎる雪をローファーでグッグッと踏みしめながら、ミスター・ドーナッツに出かけていた。
通称四季の道は新宿駅へのショート・カットには最適で、しかし野良猫やカラスがザワザワと騒ぐ鳴き声やボイラーと室外機がゴーっとまわる音などが立ち込めていて、裏路地らしい圧迫感に耳を塞ぎたくなるものだった。様々なシリカゲルを混ぜたようなにおいがするが、それでも海外の道に比べるとほとんど無臭だろう。時々英語とも中国語ともつかない呼び声が聞こえてくる。戦後はまだ電車が通っていたらしい。特に聞くつもりもない英語のリスニング・ゲームを起動してイヤホンを耳にあてると、そこには唯奈が待っていた。二人でミスター・ドーナツ靖国通り店の二階に移動した。「待ったかな」「本読んでたから大丈夫ですよ」唯奈は結婚祝いにと、スヌーピーのマグカップを持たせてくれた。
「じゃあまずイメージから」唯奈の企画した、《『あなたの描きたい一枚の絵画』を『和田唯奈の身体』が描く』》というプロジェクトに、みなみは参加していた。
おかわり自由のカフェ・ラッテを飲みながら、みなみは唯奈に「私が知りたがりすぎること」についてを話した。それは、『私が作りたいものを唯奈が描く』のに有効だと思った。実は、みなみも他者に話を聞いて、カウンセリング的に作品を作るプロジェクトはやったことがある。(と、いうか、継続中だ。)だから、自分がやっているのだから、唯奈がやろうとするプロジェクトに手を貸すのは当然の話だ。
昔、もうタイトルも思い出せない寓話で、ロザリーという名前の少女が開けてはいけない箱を持っていた。その箱を開けたロザリーは、友人も、夫も、家族もボロボロにして、何もかも失って雪の降る森の中に取り残されてしまった。きっと、今日みたいな、雪の降る日なんだろう。北風のごうごうという音は、たぶん新宿東口から歌舞伎町へと抜ける細道のビル風の音のような、恐怖を煽るものなのだろう。「見るなの寓話」という単語を思い出していた。「見るな」というと見たくなってしまう寓話についてだ。唯奈に後でラインで見るなの寓話についてのWikipediaを送ろうということをメモした。
時々、耐えられないほどの、開けてはいけないものを開けたい気持ちが胸の内からこぼれそうにあふれてくる。指の先が膨らんで、破けて、それでも他者のトラウマを根ほり葉ほり聞きたい気持ち。
トラウマの美しさに触れて、強くどこかに閉じ込めてしまいたい気持ちが強くなる。糸で縫い付けるように。羽を縫い込むように。
私の場合のプロジェクトの名前は、「Mask project」という。プロジェクトの過程では、他者に「自分の顔で気に入らないところ」を聞く。ひどい話だ。そして、好きな色や素材を聞いて、気に入らない部分を隠蔽するのだ。リアル・フォトショップだとも言える。
帰りに成覚寺に立ち寄ると、旭地蔵の足元から、奇妙な紐が伸びていた。超極太毛糸、オカダヤで売っている毛糸のドゥーのような紐を観察しようとちかづくと、魚の腐ったような、経血のようなにおいがみなみの鼻を刺した。一気に気分がわるくなったみなみは、反射的に手をパッと開いてパンパンと二回たたき、体中をはたくようにした。すると、寺の住職に声をかけられ、みなみは死ぬかと思って飛び上がった。寺の石川さんという住職 は祈るときは手をたたくのではなくて手を合わせるだけでいいという。胸をなでおろしたみなみは、しかし、肩のあたりに重さとにおいを感じた。下から立ち込めるわけではない、急に肩のあたりに移動したにおいと感触に、これはもう終わりだ、お祓いにいかねば、と思う。石川さんは、みなみにてづくりのクッキーをくれる。おやきみたいなもので、投げ込み寺とかいてある。もらうのは二回目だ。「あの、二回目で」というと、大丈夫という。少しだけ肩が軽くなり、しかし、見るなの寓話の物語のなかに入り込んだような、まさに今、私が求めていたストーリーが私に降ってきたのだという思いが、体の中を駆け巡る。
ふと旭地蔵をみると、安らかな顔である。そして、意を決して肩のあたりに聞いた。
「もしかして、いますか?」
あたたかな、猫のおなかのような熱が、肩のあたりをなでた。みなみのうなじのあたりに、サラサラとしたオーガンジーのような肌触りと、強烈な熱が入ってくる。目の前で火花が散ったかのような衝撃の後で、脳の中に直接肩のあたりのものが語りかけてくる。私は新宿の遊女で、寒くてたまらないから服を作って欲しいという。あなたの好きな色でいい。そして私は成仏がしたいから、手伝って欲しいと。怖いという気持ちの前に、みなみの中の、妙な欲望が、彼女をかわいそうだと、そしてとても興味があると言っていた。かわいそうだから助けてあげたいのではない。かわいそうなものへの興味、そして、持たないものへの慈悲という感情の流れへの好奇心。これがみなみを落ち着かせた。「服飾は独学だからうまくないけど」とつぶやいて、彼女の、遊女の手がここにあるだろうかというところに触れた。どんな色で作ろう。どんな素材で作ろう。
唯奈はラインで、私に好きな色を聞いた。私は、ファッションではトリコロールが好きだと話した。それも、少しグレイッシュ理解の紅・紺・白のようなパターン。お互いに帰宅した後、ラインで絵を見せてくれた唯奈に、金色も追加したらどうかと聞いた。四ツ谷図書館で借りてきた玉川の資料を読んでいた時だった。みなみは新宿に住んでいて、けれど、防音がしっかりとした部屋なので、喧騒ははるか階下に聞こえる。けれど、その分、非日常の街に息づく、確かな足音に耳をすませたいと思う。非日常が日常である人もいて、何年も昔にも、そういう人はいたのだ。そういう人について考える時、金色というのは、ほんの少し、枠線の縁取りなどに使うのがいいんじゃないかと思った。唯奈は四隅の枠線に金色を追加してくれた。
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