最初から持っていなかったもの|故郷について

私はプロフィールの欄に、徳島県三好郡生まれと書いています。

 

けれど、私は転勤族の子どもだったので故郷がありません。

 

ちょっとした故郷あこがれで、出身欄を書いています。

f:id:goldenmilk:20150701142731j:plain

何も所持しないことが自然、でも友人の大切なものを傷つけることに鈍感

そもそも、故郷を持っていないので、所持するという感覚が皆無です。

自分の部屋も椅子も押入れも全部借り物でした。

 

そして、常にものをダンボールにどうやっていれるか、何で代用出来るかを考えます。モノへのこだわりが少ない分、他人が大事にしているものへの想像力が乏しいと思います。私はこのせいでけっこう友人を傷つけたと思います。(友人のおかげでそのことに気づくことができて、他人が大事なものに気をつけるようになりました。)なので、転勤族の親御さんは、ひとによって大事なものは違うということを丁寧に教えてあげて欲しいです。

 

故郷が欲しかった

故郷があるということは強烈なアイデンティティです。

お里に貢献すること、自分の生まれた地域の子どもたちを愛すること、

長く積み重ねた信頼、まつり、食べ物、個人店・・・。

社会人として生きていくには、街という小さな単位の信頼は重要だと思います。

 

しかし、それと同じくらい、ジプシー的に生きる人間も、

そのジプシー的な行為そのものを続けている人々の文脈を汲んでいるわけで、

私にも、様々な地域を旅するという故郷的なもの、が、

郷里のイメージとしてあります。

 

こういう故郷もありなのかなと思います。

Scroll to top