衣装 sons wo:「野良猫の首輪」

sons wo: 『野良猫の首輪』

 東京公演:2013年12月4日(水)〜12月7日(土)
シアターグリーン Box in Box( 「F/T13 公募プログラム」参加) /
浜松公演:2013年12月15日(日)
万年橋パークビル hachikai /
大阪公演:2014年1月11日(土)〜13日(月・祝)
大阪市立芸術創造館(芸術創造館「芸創セレクション」参加)

 

――せつないなあ。こんな、違う星にきても、わたしは一人で、生きていかなくてはいけないのでしょうか。

とある架空の街。昔の記憶を欠落したまま、まったく同じ日々を繰り返し続ける女は、牛乳を買いに使わされた帰り道、中空に地球が浮かんでいるのを見る。長い一本道を歩いているうちに、いつの間にか違う星に来てしまったのだった。
帰りたいと思っていながら、望まない旅は続いていき、どうしても帰ることができない。果てしない旅の最後にたどり着いた場所で、彼女は自分の生きていた街を新たに発見する。それはまた自分の生まれ変わりをも意味するものだった……。
卑小なものにすぎない人間が、その卑小なまま、壮大な物語に語られる。不条理と、人間存在の優しい肯定。
【演出ノート】

歩いていないと生きづらいのだ、と思う。喩え話ではなくて、足をつかっていないと、問題は凝り固まってしまう。歩いているうちは違う世界にいられる。ずっと歩いていたら死んじゃう。歩いているのは特別なことだ。
演劇が大切だと思うのは、歩いていかないと観られないからだ。あるいはこの文章の書かれたページを携帯端末でみながら、道と照らして、歩いていくことそのものが演劇であって、だからこの演劇はこの街の、この道のうえからしか生まれない。
そのまま歩きすぎたら死んじゃう。それもあって演劇はせつないのだ。僕はどこに生きていたのか。どうしたら生きていけるのか。歩き、ものを見ていないと、何もわからない。歩かないと日も暮れない。

カゲヤマ気象台

sons wo:の世界は、ちょっと屈折していて、みんなすれ違っていて、どこか挙動がおかしかったりする。
でもなぜか微笑んでしまうような、残酷なのだけれど、救われてしまうなにかがそこには存在する。
坦々と進む時間のなかの微妙で繊細で壊れてる人たちを、ほんのすこしの間、愛してしまうのです。
やはり、みんな、やられているのです。

東野祥子(BABY-Q主宰/振付家・ダンサー)

俳優が一言か二言、言葉を発するのを聞けば、それがsons wo:の演劇だとわかる。驚異的なまでにユニークな舞台上の体は、けれどそれ自体を目的に鍛え上げられたわけではない。人間の体とその内側や外側でうごめく言葉との関係についての絶えざる探求が、誰も見たことのない言葉と体の出現を許すのだと思う。

山田亮太(詩人)
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